今朝、LINEをチェックすると、普段は日々の農作業に関するやりとりが流れているだけの職場のグループLINEに、オーナーからいつもと違う色合いの長文が送られてきていた。
それは、ある署名への協力を要請する文章だった。
働いている農園の近くにモスクの建設計画があがっていることを、昨年からふとした折に聞いてはいた。
初めてそのことを聞いたのは夏の終わりで、昼休憩に農園の近隣に住むスタッフが、少し言いづらそうな感じをにじませながら、簡単に経緯を話してくれた。
これまで耕作放棄地の真ん中にあった仮のプレハブ的なムスリムの礼拝所がモスクにリニューアルされようとしていること。
現状、礼拝の日の短時間に少し道が混む以外は、特段問題が起きているわけではないこと。
モスク建設は正当な行政の手続きを踏んで、長い時間をかけて計画されてきたものであること。
いずれにしても、その時はあくまでローカルの出来事という感じの雑談話だった。
それが、知らない間にみるみる大きなニュースになっていたことを知ったのが、昨年末のこと。
地元の友達との忘年会の中で、友達のひとりが、市内にモスクが建築されつつあることを強い危機感を持って語り出して、驚いた。
彼女の家からは遠く離れた場所で起こっていることに彼女はひときわ関心を寄せており、ムスリムが土葬をごり押ししようとしている、などと熱く話し出して、ああ、またネットを真に受けたこの感じか・・・と悲しくなった。
この話題が通り過ぎれば、いつもの通り楽しく過ごせる、と思って、その場は黙ってやり過ごした。
同時期に、市役所前でのヘイトスピーチも目にした。
ヘイトスピーチを間近に見たのは初めてのことで、こんな身近で、とすごくびっくりした。
事情があってその場を離れられないシチュエーションだったので、大変に苦痛だった。
大きな拡声機で、30代くらいの女性がキンキン声で「イスラム教徒が悪を企んでいる」みたいなことを何十分も叫んでおり、それを男性が動画に記録していた。
市役所の職員さんは手をこまねいていて、何度か話しかけに行っては拒絶されて、遠巻きに腕を組んで見ているという状況だった。
心を閉じて懸命に耳に入らないようにしていたけれど、だんだん過呼吸みたいになってきて息が苦しかった。
その場にいる人に身体的なダメージを与えるほどには、禍々しい何かをまとった人たちであった。
駅前では、盛んにモスク反対のビラ配りやヘイトスピーチが行われるようになっていた。
先週の仕事帰りには、駅前に警察の移送車両が止まっていた。
ネットで新聞記事になっているのも見かけた。
そういう状況の中で、農園オーナーから「参拝の人々の車が交通渋滞を引き起こして業務に支障をきたす恐れがあり、近隣の農地がイスラム教の関連施設に転用される懸念から、自治会のモスク建設反対の署名に協力してほしい」との発信があった。
もっともらしく書いているけれど、ありていに言って、理由のための理由であり、単なる排外主義だなしょうもな、という以外の感想はない。
いや本当は、カッとなるくらい腹が立ったし、情けない気持ちになった。
改めて現状について調べると、やはりこの状況は意図的に煽られて作られたものだということが分かった。
モスク建設反対運動の中核にいるのは、排外主義の思想を発信することでアクセス(=金)を稼ぐ東京のユーチューバーや、票を得て議員になろうとする極右政党の党員だった。
彼らは「ヘイトの種」に目をつけて、わざわざよそからやってきて、勝手に反対運動の団体を立ち上げ、デマや誇張でイスラムフォビアを薪をくべるようにして煽り立てていた。
それを少なくない数の地域住民が真に受け、不安や憎しみを過剰に煽られて、ここ数ヶ月で急速にヘイトの空気が醸成されてきた。
人々の負の感情を煽って誰かを差別したり排除したりすることで金や権力を得るために、わざわざ遠くからやってくるような人たちがいるということ。
そのような胡散臭い者から一方的に与えられる偏った情報を鵜呑みにして、まんまと不安になり、当事者の話や考えを聞こうともせず、その人たちの思いや置かれた状況を想像することもできない人たちがいるということ。
そして、自らの漠然とした不安が耐えられないから、この社会にともに生きている人たちの正当な権利や人権を平気で反故にし、安易に排除することで解決をはかろうとする人たちがいるということ。
そういうことへの憤りと情けなさで、心が苦しくなる。
2025年の下半期、つまり参議院選挙以降、この国には排外主義が吹き荒れて続けているという感じだ。
昨年の7月の参議院選挙では、唐突に外国人問題が争点とされた。
本当は、大企業からの得た裏金で太り、統一教会という悪質なカルト宗教と癒着していた与党が、追及されなくてはならなかったのに、それらを脇に置いて、あらゆるうまくいかないことの原因があたかも外国人のせいみたいに語られていた。
日本人ファーストを掲げて、排外主義を大っぴらに主張する新興政党が大躍進をした。
分かりやすすぎる悪質な本質ずらしに、選挙のたびに毎回何度でも簡単に騙されて、政治家が恣意的に誘導したスケープゴート、つまり少数派で脆弱な立場にある者に罪や責任を負わせて、社会で迫害する。
ストレスのはけ口みたいにして、憎しみをぶっつける。
人々の暮らしを無視し、福祉を削って全方位的に増税を重ね、政治権力者だけは特権を享受するという悪政によって、人々は働きづめでも安心して暮らせないような、老人になっても働き続けないと生きていけないような生活を強いられている。
けれど、本来政治に向けられるべきやりきれない思いや、不安や、収奪感や報われなさといった怒りや憎しみの感情は、誰よりもずるいことをして受益していることが具体的事実として指摘されている政治家たちではなく、なぜか少数の弱い立場にある者への架空の「ずるい」にばかり向けられる。
そういうトリッキーな感情のロジックをどうしても必要とする人がいるからこそ、差別はいけない、と正論をどれだけ吐いてみたところで、差別はなくならない。
歴史を振り返れば、人間はこの凡庸なパターンを飽くことなく繰り返しているから、もはやそれは人間の性質の一側面なのだろう。とても残念なことだけど。
それでも、この短絡的な轍からなんとか抜ける方法ってないものだろうか。
あまりに馬鹿馬鹿しいが、それは人を殺すほどの凶暴さをはらむ。
自分の暮らす町で、こんなことが起こってとても情けなく、悲しい。
翻って、ベネズエラへの攻撃とICEの住民殺害に揺れている、トランプの暴政下にあるアメリカ市民の嘆きはどれほどのものだろう、と思う。
「藤沢モスク」建設巡りデマ広がる 影響は中学生のLINEにも(毎日新聞)