
昨日は、選挙結果に落ち込む気分を振り払うようにして、いつもよりたくさん喋り、たくさん笑ってよく働いた。
雪をかぶった畑は、いつもとは様変わりしていて、空気は澄んで、息を吸い込むとせいせいとした。
昨日は仕事があってありがたかった。
同僚と雑談する中で、そういえば選挙行きましたか?と聞くと、
いつも優しいキャンプ好きのTさん(20代男性)は、「これまで選挙に一回も行ったことなかったんすけど、今回なんか盛り上がってるし、行っといた方がいいのかなと思って行きました」と言っていた。
介護職と農園のダブルワークをしながら海外移住の準備をしているNさん(20代女性)は、今の高齢者介護を取り巻く環境はおかしいと思う、利用者さんはみんな口を揃えて「早く死にたい」と言うんです、とさびしそうに言っていた。
でも、それと今の政治への批判は彼女の中で繋がっておらず、変な言い方だけど、まるで動かしがたい天の采配みたいな、誰か人間が意志を持ってやっていることではないみたいな話しぶりで、特に怒りとかも感じていないようだった。
たった2つのサンプルだけど、考えさせられた。
この国に権利教育や人権教育がほとんどないということ。
報道が事実を伝えないことを長年重ねてきたこと。
不況以外の日本を知らない若い世代の人たちにとっては、これが社会のスタンダードであること。
他にも、歴史を学ばないことや、SNSの存在や、経済状況によって促される選択肢や思考の幅寄せや、世界情勢など。
それらいろんな複雑な要素の起結として、社会を構成する一人ひとりの人たちがいる。
ひとつの結果が今目の前に示されているということを思う。
今回、与党に投票した人の中には、「自分が何に信任を与えたのか」をよく分かっていない人が、相当数いるのではないかと思う。
社会で起こっていることをほとんど知らないあるいは興味がないし、知ろうとすることに時間を割くことがなんらかの理由でできない人が、身近にもごろごろいる。
昨日、パリの息子氏と電話した。
3年前に彼を送り出した時、130円台だったユーロは、今185円になった。
これからも円安が改善する見込みは薄い。
たった3年で、いろんなことが大きく変わった。
予想に近かったことも、全く想像できなかったこともある。
いずれにしても、高等教育に高いお金がかからないヨーロッパであっても、我が家の経済ではもう、日本からはさすがに支えきれない。
自由に生きたらいいけど送金は今年度で一旦打ち止めで、と昨年のうちに彼には話している。
「今後どうしていくか、まだはっきり決めていないけれど、昨日の日本の選挙結果、あれが日本の民意なのだとしたら、自分とはかなりずれが大きく、戻ってもきっと生きづらいだろうなと思う。できれば、これからも日本以外で生活していく方法を模索したいと思っている」と、息子氏は言っていた。
ま、私があなたでもそう言うだろうよと普通に思う。
もとより、ヨーロッパで楽器一本抱えて生きていくことは、簡単であるはずがない。
でも、今フランスにいて彼は生きやすそうだし、彼が日本以外に足場を持っておくことは、私たち家族にとって(特に娘氏と末っ子にとって)、この先結構重要なリスクヘッジになるのではないかと思っている。
これからも会えないのは、私は寂しいけど、でも応援する。
誰しも、自分の生きたいように生きる権利がある。
いろんな条件があって、簡単ではないけれど。
自分の望まぬ戦争とか兵隊なんて論外だし、こうやって書いていてもまさかと思いながら書いているけれど、ほんとうにそう思う。
そして、やっぱりこの社会の仕上がりにうなだれているし、一人の大人として若い人たちに謝りたいが、それでも、まず自分が朗らかに笑って、優しく親切にある、言うべきことを勇気をもって言うっていうのを、日々の態度としてあらわすことを地道にしていきたいと思う。