
「虎に翼」の半年間が晴れやかに終わったなあ、と思いながらのカウリスマキ。
安定のカウリスマキ節。
なんの新しいこともない。それがいい。
無表情で棒読みの名も無い人々の、冴えない日常。
ペーソスに満ちたユーモア、ノスタルジー。
カウリスマキの描く敗者たちの物語は、いつだって私のための物語だと感じる。
全員が押し黙ってひたすら酒を飲むパブで、微妙すぎる音楽が延々と流れ、皆がじっと音楽に耳を傾けるシーンも毎度のことだ。
この不器用すぎる雰囲気と一切の愛想のないさまに、毎回呆れて笑ってしまうんだけど、どこかこの感覚に憩っている。
あらゆるジャッジが存在しないことへの妙な安らぎがある。
もしも実際にこんな店に間違って入ってしまったら、いたたまれなさ過ぎて10分も座っていられないだろうけど!
カウリスマキは引退宣言を撤回して、本作を作った。
作中、ロシアとウクライナの戦況のニュースが、ラジオ放送で何度も出てくる。
彼の映画でいつも労働者は虐げられる存在だけれど、本作ではギグエコノミー契約で働いている尊厳を奪われた労働者のありようを映す。
ギグエコノミーが跋扈する社会で人を切り捨てる側にある人間は、ただ冷酷というよりは、まるで心をどこかに置いてきた機械みたいだ。
いつだってホラッパやアンサのような、弱く、正しくも美しくも立派でもない、どうしようもない者たちが、雇う側の都合で簡単に踏み潰される。
そんな世界の「今」をカウリスマキは静かに怒り、悲しんでいる。
どこか廃墟のようなヘルシンキの夜景は、新宿にすごく似ていた。
彼らはすっかり世界に絶望している。
それでも彼らの胸の裡には、かすかに消えない種火のような、チラチラと燃える炎がくすぶっている。
不完全すぎる互いの存在を持ち寄ることでようやく暖を取れるほどの小さな炎だ。
他に使えそうなものは何も見当たらないから、互いに一縷の望みをかける。
どうにかそれをよすがに、今日いちにちを無心に生きる。
よろけつつ、一歩、また一歩。
なんとか足を前に踏み出すことを続ける。
そんな風に踏ん張る後ろ姿を眺めつつ、物語は終わっていく。
本作はとりわけ犬が愛らしかった。
寂しい人の側に身を寄せる犬は天使だな。
私もいつか一人ぼっちになったら、また犬を飼おう。
犬の名前はチャップリンだった。
それから、二人が見に行った映画がジャームッシュの「The Dead Don't Die」だったのは愉快だった。私の大好きなゾンビ映画。
きっと電話一本で「いいよなんでも好きに使ってよ」ってなったんだろう、ジャームッシュだから。
そう想像して、にっこりした気持ちになる。
互いの映画へのリスペクトがそんな形で見られたのも嬉しいサプライズだった。