我が家の娘氏が、ブラックだった前の職場を辞めて、近所のパン屋で働き始めてもうすぐ半年になる。
パン屋さんて、いつもお店の前がいい匂いがして、香ばしいパンたちを丁寧に扱って、笑顔でお客さんと挨拶を交わして、っていう素敵ワールドを漠然と想像するわけだ が、現実はそんなほっこりしたものではない。
やること常に山積み、職人気質のオーナーからの絶え間ない効率化、スピード化を求められるハード体育会系の職場。
30代のオーナー夫妻は、共に10代から叩き上げのパン職人。
毎日夜中の3時から仕込みを始め、人生を文字通りパン作りに捧げているだけに、スタッフへの要求も高くなるのだろうなと、娘氏の話を聞いていて思う。
夜、ただいまと帰ってきた時の娘氏は、まるで駅伝で倒れこみながらゴールする人みたいだ。
「うおーん!ハグーー!」と、癒しを求めて3歳の弟にハグを要求し、末っ子はちょっと引き気味でしばし強引に抱っこされる、という一連の流れが半ば儀式化している。
ありゃー大変そうだなーと思う反面、どこで働いてもいろいろあるよねとは思うし、引きこもってた頃には想像もできないレベルで立派に社会参加してる娘氏を頼もしく、誇らしくも思う。
そんなしまらない思いで働く我が子を眺めているので、娘氏から仕事であった色々について意見を求められても、私はあんまり歯切れの良い言葉が返せない。
17歳の娘氏は今、日々パン屋で働きながら、学び、考え、これから先、自分がどういう場所に、物事に、人にコミットしていたいかということを模索している。
彼女の素朴で本質的な疑問に触れると、資本主義の社会の中で雇われて働くってどういうことなんだろうと、改めて考えさせられる。
私たち大人の多くは、誰かに雇われて働くことがあまりに当然の人生になってしまっていて、雇用を介した人間関係にすっかり慣らされている。
けれどそこには、根本的ないびつさのようなものが確かにある。
それは、ほんとうに仕方がないことなんだろうか。仕方のないこととして諦めるべきなんだろうか。
こないだの朝の娘氏の話。
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雇われて働く場所で起こっていることって、雇われる人が今できていることは常に当たり前とされて、できないことだけを指摘され続けるということなんだよね。
注意されて、努力してやっとできるようになったら、「あ、それできたんならこれもお願いね」って言われて、新たな何かをまた「できてないよね」と指摘される。
そのループがどこまでも続く。
「できた!」という段階はいつまでもやってこない。
そういうことが続くと、人は「わたしは全然できない人間なんだ」と思うようになっていく。
わたしも自分がどんどんそうなっていってるのを感じる。
そんな場所にどうしてみずから通い続けなきゃいけないのかなって思えてくる。
さくちゃん(桜林直子さん)が、『自分が本当にやりたいことを見つけるためのワーク』の中で、「自分ができていることを何から何まで全部ノートに書き出してみる」って言ってたじゃん。
あれをなぜやるかって、みんな誰かのできてないことは指摘するのに、できることは誰も言ってあげてないから、もはや自分が何かをできる人間だと思えなくなっている人が多いからなんだよね。
本当は、その人ができてることって、誰しも生きていればめちゃくちゃあるはずなのに。
今の社会ではそれらはたんに「当たり前」と扱う。
だから本人もそう思ってしまう。
わたしはさ、もっといろんな人が「あなたができてること」を認められる場所があった方がいいと思う。
存在を全肯定する、みたいな大げさなことではなくって、その人の話を聞いて、ここやここはよく頑張ったと思うよ、みたいなことだけをただ話す場所っていうか。
自分では見えていない、「あなたにはこういう、よくやれていることがあるよね」を言い合う場所っていうか。
自分に対する信頼って超崩れやすいんだけど、構築できやすいものでもある。
誰かのさりげないひとことで「そうかも」って思えてくる。
そんな大層なことをせずとも、ただ「よくやってるよ」「できてるよ」って言ってあげるだけで、自尊心が回復していくということが人にはあると思う。
今、たった15分の休憩を取ってもいいですかってシェフに言えないのはどうしてなんだろう?
多分、それを「甘え」と受け取られるって思ってるから。
ただでさえ仕事が遅いくせにって思われそうで。
「どうしても取りたければ、コーヒーブレイク取ってもらって構いません」って彼らは言う。
言い方からして休むってことに明らかに後ろ向きだし、「コーヒーブレイク」っていかにもゆったり寛ぐ的な言葉を使うけど、半日以上ぶっ続けで働いて普通に集中力が保たないから体を止める時間が欲しいだけ。
でも、理解してもらえないって思う。だから言えない。
本当は、他の人がどうとか関係なく、作業効率が下がったり体が無理なら、それは言ってもいいはずなのに。
「甘え」って「求めすぎ」って言葉に変換される。
職場に対して、社会に対してそれは求めすぎっていう時に「甘え」って言葉が使われる。
そこには、その人がすでにやってくれていることは加味せずに、さらに求めていく姿勢がある。
でも実際さ、自分の甘えに気付かされる時って、「あなた甘えてるよね」って言われた時ではないよね。
何も言われなかったり、別のことを指摘されたり、促されたりした時、
「あ、甘えてたんだ自分、動かなければ誰かがやってくれると思ってた」と思ったりする。
だから、「あなたって甘えてるよね」という指摘ではっとするとかって、まずない。
つまり、自分の権利を主張してんじゃねーよとか、お前の尊厳は守る気がないという意味で、人は「甘えてるよね」って相手に言っている。
甘えって、そういう呪いの言葉になってしまっている。
もちろん、期待に応えて好かれたい、大切にされたい、愛されたいとは思う。
でも、それだけを目標にがむしゃらに頑張れないんだよね、なんかもう。
以前はそれだけで突っ走れた。
人に褒められる、必要とされる、責任のある立場を任せられる。
そういうことをモチベーションに頑張れてたんだけど、今は確実に途中で息切れる。
体力なさすぎて無理です、みたいな。
どれだけ頑張ろうと、わたし自身が好かれるという感覚はなく、彼らにとって都合のいい、角のない存在になればなるほど、優しくしてくれてるって感じだった。
結局、わたしの尊厳を大事にする気持ちはないんだろうな、という。
そういうことに疲れてしまう。
都合のいい人になれば愛してくれる、大事にしてくれる人はいる。
あなたはこういうことをしてくれるから好き。
それって機械やんけ、って。
でも、雇われて仕事をしている場では、やっぱり明らかにそういうことばかりを求められる。
そのうちに、わたし自身のことを大切に思って好きになってくれる人なんて、この世にはいないんじゃないかと思えてくる。
この人といたらクソみたいな気分になることもある、友達とはいえ顔も見たくない時もある。
それでも、その人のことが好きという方が、わたしは人として納得ができる。
ほうぼくの奥田知志さんに会った時に感じたあの安心感って、「自分が都合のいい人になったら優しくしてもらえる感の薄さ」だったんだなーと思う。
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資本主義的には、人をできるだけ安価で多く働かせることが、儲けに直結するから、今できてることをゼロベースにして、さらに生産性をどこまでも上げていくことが「成長」であり最適解だ。
それは、正義とか正論とかじゃなくて、より多く儲けたい側の手前勝手な都合にすぎない。
けれども、娘氏の言う通り、人間は機械じゃない。
心と体とそれぞれ固有の事情を抱え、有限な人生の時間をなにかしらの意図をもって使う。
雇われ仕事は、その意図を叶えるためのテンポラリーな手段であり、自分自身の権利や尊厳よりも下位にあることであり、尊厳を明け渡してまで必死にやるような重要なことではないはずだ。
でも、なぜか簡単にひっくり返る。
仕事となったら全てを投げ打ってでも、何がなんでも責任を果たせみたいな思想を、あたかも倫理のように流布するのは、ごく控えめに言っても悪質なことだ。
仕事とその人の人生の意義が分かち難く結びついていることはよくあることだが、その人個人の事情であり、がむしゃらに仕事をするのもその人がやりたくてやっている。
人は、人生の多くの時間を割く仕事には、なんらかの意義を見出そうとするものだとは思う。
でもそれは、全員に強制していい思想ではない。
そこを「人として〜」みたいな語り口であえてごっちゃにすることで、多くの人が働く現場で背負わなくていい責任を背負わされ、不必要な罪悪感を持たされ、追い詰められている。
仕事となったら、途端に人は簡単に人の尊厳を踏みにじる。雑な扱いをする。
普段、人に何かを頼むとき、理由を相手に説明するのは基本のことなのに、仕事ではなぜか説明をしない人って多い。
いちいちめんどくさい、説明しなくってもいいって相手を侮っているから、説明をしない。
そういう人に説明を求めると、イラっとしたり逆ギレしたりする。
仮に友達に対してそんな態度だったら、あっという間に一人ぼっちになるだけ。
そんな人としてあり得ない振る舞いが、仕事だからという一言でまかり通ってしまう。
そんな人間関係がいびつでなくてなんだろうか。
私たちは、仕事に従事する人である前に、ていうか、どんな立場である以前に、人間。
その基本に忠実でいたい。
自分に対しても、誰に対しても。
「それは甘えだ」ってわざわざ言ってくるような人は、あなたの尊厳を踏みにじり、頭を押さえつけてくるだけの人だから、私たちは、ほぼ無視して差し支えなさそうだ。
そんで、「よくやってるよ」「できてるよ」って誰にも気軽にどんどん言ってこう。