8月の終わりに生まれた末っ子は、6歳になった。
日に日に赤ちゃんぽさが抜け、どんどん複雑な心を持った「男子」になっていく。
あとしばらくは幼児の可愛さを楽しめるけれど、ひとりの人としてリスペクトを忘れずに接しようと心がけているこのところ。
今週は、末っ子の下のちょうど真ん中の乳歯が2本、立て続けに抜けた。
わあおめでとう、大人の歯が生えてくるねえ、と皆で称える。
抜けた下の歯は空に向かって投げるんだよ。元気な歯が生えてきますようにっていうおまじない。そう教えると、「えーNくんみたいな方がいいー」と末っ子は不服げだ。
お友だちのNくんはスペイン人。スペインでは歯が抜けると枕の下に入れて寝て、朝になると天使だか魔法だかで歯がコインに変わっている、というならわしらしい。
歯が1本抜けるたびに500円玉がゲットできるので、Nくんはもうどんどん歯が抜けてほしくて、ぐらぐらを指でいじって大変なのだ、とママが苦笑していた。
いずれにしても、乳歯では虫歯ごと抜けてなくなってくれるが、永久歯はそうはいかないので、これからはますます歯磨き頑張らないと、と思う。
末っ子は感覚過敏で、手洗いの時の蛇口のシャワーの刺激を嫌うなど、特定の感覚を強く不快に感じる。
口の中を親に磨かれる仕上げ磨きもとても嫌がるため、歯磨きはお互いにストレスのかかる時間だ。
それで私もついつい歯磨きを飛ばしたり、いい加減にパパッと済ませてしまったりした結果、案の定虫歯に。
上の子たちの時は、乳歯で虫歯になったことがなかったので、自分を責めたりもしたが、そういえば上のふたりは仕上げ磨きが好きだったよなあ、と思い出す。
まま、しあげみがきしてー、と小さな歯ブラシを持って自分からとことこやってきて、私の膝の上に小さな頭をちょんと乗せて、あーんと口を開けて大人しく磨かれてくれていた。ああ、可愛かったな。甘い、優しい時間だったなあ。
それが末っ子は、顔を背けて暴れたり、なだめすかしてなるべく手早く磨いても、唾が口内に溜まる感覚が嫌いで、私の顔に向けて唾を勢いよく吐き出したり、口を固く閉じて歯ブラシを噛み締めてしまったり。うがいも今ひとつうまくできず、水を飲むだけになってしまったり。
どちらかというと格闘に近く、お世辞にも甘い時間ではない。
夫氏が、末っ子の前歯の間が虫歯で黒くなっているのを見て、「やだなあネグレクトの家みたいで」とうんざりしたように言う。
そっかなるほどなあ、と私は気付かされる。
特性のある子どもの世話は、お世話が難しかったり大変だったりすることが多いから、結果ケア不足がいろんな分野で起こりがちなんだな、と。
人並みのモチベーションと労力をかけるだけでは、全然お世話が足りないってことが起こる。
惰性の強い生活レベルの雑事は、せめて上の2人の育児の時と同じようにやってればよし、と自分に甘く考えていたところがあったけれど、やっぱりもっとしっかりケアしないと末っ子には足りないんだろうな、と思い直した。
例えば、来春から小学生になって、宿題やら明日の準備やらも出てくるけど、上の子の時と同じ感覚の関わりでは、色々困ったことが起きてくるだろう。
同時に、余力のない自分がこれ以上どこまでやれるだろうと自信がないし、無理なものは無理、できる限りのことをしてやるしかない、とどこかで諦めている自分もいる。
子どもの性質や子どもの扱いやすさは人によってあまりに大きく異なる。
公共の場で子どもを大人しくさせられる親はちゃんとした親であり、それができていないのはしつけのなっていない放任の親、みたいなことは、控えめに言って表面しか見えていない見当違いなジャッジメントだと思う。
幼児に対して親が強制できることは限られているし、大人にとって好都合な子どもが良い子というわけでもない。
レストランの席で、スマホを見ている親の向かいの席におとなしく座ってご飯を食べている子どもを見ると、うちとのあまりの違いに愕然としてしまう。
我が家が末っ子と一緒に行ける外食は、今も「はま寿司」ほぼ一択だ。
回転寿司は常に目移りするものに囲まれているエンターテインメント空間だし、ガチャができるし、個室で区切られているし、偏食の子どもにも食べられるものがある。
多動の子どもには、はま寿司を強くお勧めしたい。
ちなみに、くら寿司のあのお皿を機械に入れるやつは、いつまでも当たらないので逆にフラストレーションMAXになり、かえって危険である。
最近、とうとう保育園の歯科検診で引っかかり、重い腰を上げて歯医者通いを始めた。
これまでもう3回行っているが、治療はまだ始まらない。
一旦歯医者嫌いになると取り返しがつかないし、末っ子のような扱いの難しい子のことを初回の診察の時に理解してくれて、歯科衛生士さんが慎重にことを進めてくれているの、とてもありがたい。
1回目、口の中に器具を入れてみる。
2回目、水の出る器具を使ってみる。
3回目、仰向けになって口を開けて光を当て、エアーの出る器具を試してみる。
いよいよ4回目にしてやっと治療が始ま、ればいいね?という段階。
歯医者通いは当分続きそうだ。
末っ子は、最近ではもういろんなことを普通に会話できるようになって、赤ちゃんの会話がいつの間にかなくなってしまっていることを少しさみしく思う。
こないだお絵描きで「そらとほしときとつちをかいた」と聞いて、おお、風景を描くようになったのか、とじーーんとした。
つい最近まで、謎の霊魂みたいな、丸の中に二つのマルと一本線(目と口)のみのやつだけを延々と描き続けていて、それも面白くて大変良かったが、成長してるんだな、と実感した。
ちなみに、同じクラスのお友達は「スーパーマリオ」とか「夏休み(すいかとか花火とか盆踊りとか)」とか「プリキュア」とかを描いている。
文字を書く子もいて、すごいなあ、と感心している。
集団生活でいろんなことがあって、不完全な大人の集まりである家族との関わりでもいろんなことがあって、最近、心にいろんな傷を負っているだろう末っ子の横顔を時折せつなく見ている。
6才にしてもう、人生の喜びやつらさを感じるということが始まっている。
ここから先は長いのに、人間やってくことは大変なことだ。
人は本当は、元気に生きてるだけでじゅうぶん偉い。
悪意というものが彼の中にはまだ存在しないから、唐突な悪意や攻撃には、ただ呆然とかたまるか、笑うか、気持ちを切り替えて忘れたみたいにするか。
けれど、心に強いインパクトを残した悪意や刺を持つ言葉は、時間差で私や娘氏に向かってぶっつけられることになる。
言葉の意味分かって言ってる?みたいなことも多くて、腹をたてるよりは、ああそれを君はどこかで言われたんだね、と悲しい気持ちになる。
自分よりも弱いお友だちにも多分言っている。
それは加害でしかないし、良くない連鎖だから本当に悩ましく思っている。
先生にも頼りながら、試行錯誤の日々だ。
いくら抱きしめても、痛みは消えてなくなりはしない。
せめて、家では帰る場所の安心や楽しさを感じて欲しい、といつも願っている。
力不足でしかないんだけど、娘氏の力も借りながら、毎日あなたが大好き、かわいいよ、あなたがいい子だって知ってるよ、と伝えてる。

