娘氏が、ある映像作家のアシスタントとして働き始めてから、数ヶ月が経っている。
昨年の秋から冬にかけて、娘氏が初めて作った1時間のドキュメンタリーを見て、自分のところで本格的に学んでプロになってみないかと声をかけてくれた。
今は、動画制作全般、特にカラーグレーディングを重点的に学びつつ働いている。
本人はスチール写真を頑張ってやっていきたいと思っていたが、父親と同じ映像制作の道に足を踏み入れることになった。
自然食品屋のバックヤードの仕事も続けていて、今はダブルワークをこなしている。
娘氏は、強いストレスがかかると自家中毒を起こして倒れたり寝込んだり昼夜逆転するし、生理痛もとても重いので、良い機会をもらったと喜びながらも、内心心配していた。
でも、映像の仕事が軌道に乗るにつれ、彼女はむしろ快活になってきたように思う。
職場が海辺の町の縁側のある古民家であったり、勤務形態が無理のないものだったり、何よりその映像作家のYさんが不器用で言葉は少ないけれど、気持ちの安定した優しい人であることは、彼女にとってとても幸運なことだったと思う。
以前のように食卓で長く話し込むことも増えて、娘氏が充実したいい状態にあることが私は嬉しい。
今は夫氏も仕事が佳境で、集中してひがな一日編集作業に取り組んでいる。
私自身も、なんとかかんとかしのいでいる。
今、我が家はまあまあの安定期。
やじろべえがゆらゆらしながらいいバランスで立っているみたいに。
久々に、娘氏の話。
そっか今こんな心境なのか、と思いながら聞いていた。
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このところ、立て続けに市役所に行って、歯医者に行って、耳鼻科に行って、眼科に行った。
それって自分の中ではすごいことなんだよ。
申請や手続きや病院に行くことは、私にはすごくハードルの高いことだから。
多分、Yさんのところで働き出したことで、何かが楽になったんだと思う。
なんて言うか、これまでの仕事は、「代替可能な従業員」じゃん。
自分でなくてもできる仕事。
その中でも自分は仕事ができない部類にいて、他の人にフォローしてもらいながらやれているという感覚を持っていて。
全く役に立っていないわけじゃないど、あんまり役には立っていないと思いながら働いてきた。
Yさんのところでは、私が何を感じていて、どう考えているか思っているかを結構積極的に聞いてくれたり、意向を考えて進めてくれたりする。
今が初期段階ということもあるけれど、何かを無理強いされたり、サービス残業をするようなこともない。
「自分である」ってことを求められて、働くことができている。
常に「今何をやっているの?」「これからどうするの?」という周りからの言葉に答えることができなかった。
自分が何者であるかいうってことをいつも問われるし、何者かであれとか、役に立てとか、迷惑をかけるなっていう無言の圧を感じてきた。
「あなたは何か変なんですか?」「あなたは何か大変なんですか?」っていう言葉に対して、「違います」っていちいち答えないといけないっていう圧を色んなものからひりひりと感じる状況の中で、それらを回収してくれる文脈が突然現れたというか。
だからこれが果たしていいことなのか?という気持ちもあるんだけど、楽にはなってるんだよね。
結構楽しいんだよね、カラーグレーディングを学ぶのは。
写真のレタッチはずっと個人的にやってきたことだったし、自分の表現したいことと近い。たまたまなんだけど、本当に。
後ろ盾が少ない状況でなんとなくアルバイトをして、ぎりぎりのやり方でなんとか暮らしを立てられるような、展望があるかないかみたいな感覚だったのが、「自分が何かをできるようになる可能性がある」ということを感じられるようになった。
それが精神的な余裕につながっているのかなと思って。
何かが良くなると思えない状況では、行動しようとは思えないんだよね。
だから今の状況に感謝を感じつつも、でも、本当は何もできなくても生きていていいはずなんだとも思う。
そう思える自分であって欲しいけど、でも結局のところ、人から眼差された時に、なるべく景観に馴染むような自分でいたいという感じがある。
何か訊かれた時に、「へーそうなんだー」ってスルーしてもらえるような言葉を持っていたいということ。
「ん?この人は大丈夫な人かな?」って思われるような感じであるっていうことに、だんだん疲弊していく。
だから今、いっときの休息をもらっている感じ。
自分はずっとさ、川を横切って歩いているような気持ちだったの。
自分を押し流そうとする強い水圧をずっと感じてきたなかで、Yさんが「ここに橋を作っています。上がってきませんか?」って言ってきて。
上がったら突然水圧がなくなって、水圧に抵抗するために奪われていた体力が生まれて、何かをやる余裕が出てきた。
そのことが、あまりに今までと違いすぎて、恐怖も感じてる。
こんな感じで大丈夫かなあっていう、幸福であることの不安定さに耐えられないみたいな。
まあでも、良くなって悪くなってというのを繰り返すだけっていう話なんだとも思う。
自分が水圧を感じていたことをすぐに忘れてしまうから、でも水圧を感じながら生きている人はいて、自分だってある種本当はそうというか。
今はYさんの作った橋の上に乗っているにすぎなくて。
自分では何もしてないっていうか。
もう7年も「あなた何者ですか?」と問われることをやってきたから、それなりに強くはなった。
最近は、学校へ行った方が良かったとか行かなかった方が良かったみたいなこと自体をようやく考えなくなった。
それでも、すがれるものができた時にはすがってしまうなーということを感じている。
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20歳になった娘氏にとって、学校に行かなかったこと、行けなかったことは、ようやくだんだんと遠いもの、良くも悪くも過ぎ去った過去になりつつある。
生きられる、生きていけるという安心感を娘氏に与えることができなかった親の自分を不甲斐なく思うし、娘氏が感じてきた水圧、そのことに常に体力や気力を奪われてきたことについて、想像力も配慮も足りなかったなあと思う。
娘氏を楽にしてくれた雇い主のYさん、娘氏にドキュメンタリー制作を依頼し、発表の場を作ってくださったFさんにも改めて感謝の思い。
個人的な関係性がある場合は別として、社会が定めた規定ルートに乗らず、何の肩書も特技も特に持たない人に対してスルーできる人は、この日本の社会では少ない。
自分も含め、立場や属性や上下関係なく、ただの人と人として接することに慣れていない社会だ。
いちいち自分のありようをいぶかしく思われたり、詮索されたり、変な気の使われ方をすることは、まだ自己の脆弱な十代の少女にとっては、それなりにしんどいことだったろう。
この7年間、彼女は身をもって「自分は通常のレールから外れた人なんだ」ということをいろんな場面でひしひしと感じてきたんだろうと思う。
その中で、もがきながら、閉じたり開いたり、傷ついたり喜びで有頂天になったり、色んな失敗もしながら、彼女はいつだって自分の心に問いかけて一つひとつ選択し、何より生活を軽んじることなく、一歩一歩やれることをやってきたな、とそばで見ていて感じる。
身体が壊れて無理がきかないから、本当はもっとガツガツ突き進みたかったフェーズもあったけれど、焦りたくても焦れないから、あきらめることも少なくはなかった。
でもその分結果的に、慎重でよく考えた判断ができたこともある。
結果オーライと雑にまるめることはけしてしないけど、どんな今でも今を正解にしていくことができる力を、彼女はいつの間にか持っていて、そんな自分をだんだん信頼することもできるようになっている。そのことを誇らしく思う。
ひとまずここまでよく頑張ってきた、差し出されたものは遠慮せず受け取るが良かろうよ、と母は思っている。