梅雨に入って、毎日降ったりやんだり。
農繁期で職場は忙しく、総力戦で乗り切っていきましょう!とオーナー。
今の時期は整枝作業も多く、きゅうりの三本仕立てがどうにも下手くそだったけれど、3年経って、きゅうりもナスも、だいぶ要領良く整枝できるようになってきたかなと思う。
わさわさと根元にだまになっている枝を、適切に選んで剪定していく。一株一株、淡々と、延々と手入れをしていく。
背中合わせに作業しているIさんが、「盆栽やってる気分っすねー」と言う。
全部終わってよっこいしょ、と立ち上がって見渡すと、ぐっと風通しが良くなって、涼しそうに気持ち良さそうに風に揺れている苗たちの姿、そのビフォーアフターを見る時の達成感。
みずみずしい緑の中に体をうずめるようにして、雨を吸い込んですくすくと育つ野菜たちのお世話をするのは、私にはいつだって楽しいことだ。
昨日は、夕方保育園の個人面談だった。
最近の末っ子の成長は目覚ましく。先生も私たちも彼の特性をだいぶ理解し、彼にとって適した環境はこういうものだから、そこに近づけるようにしていく、塞がず押さえつけず添う、という考え方で終始話すことができて、確認作業のようないい時間だった。
話が終わったついでに早めのお迎えになったので、そのまま日帰り温泉に行った。
雨上がりの平日の温泉はガラガラに空いていた。
この温浴施設には、日替わりでいろんな薬草とか、ゆずとか入浴剤とかを入れる浴槽がひとつあって、エレベーターの中に月スケジュールが貼り出してある。
そこに今月中旬が「サッカーワールドカップの湯」と書いてある。一体何を湯に投入したらワールドカップの湯になるのか。
へ?今月ワールドカップあんの?と夫氏に訊いたら、「えっっっっ知らないの?」と驚愕された。
私は私で、行きの車の中で、発議して国民投票したらほぼ100%改憲できてしまうようにルール変更をした「国民投票法改正案」が11日に審議入り、1週間ほどで成立してしまいそうというニュースについて話したら、夫氏に「いやー、全く知らなかった」とあっさり言われ、どびっくりしていた。
国の根幹に関わるルールの変更を、大メディアはあえて報じていないみたいだ。
今、この国では、国民の知る権利は、堂々とないがしろにされているんだな。
夫氏のように、全く知らない人はきっと大勢いるんだと思う。おそろしいことだ。
それにしても、私たちの世界線ってつくづくかけ離れているね、とエレベーターの中で苦笑しあった。
私は野球やサッカーに興味なく、スポーツ選手を賛美する気持ちも特にないし、夫氏は政治について考えることをだいぶ前にやめてしまった。
それでも私たちはそれなりに仲良く暮らしていて、協力して子育てをしたり、ウッドデッキの解体作業をしたり、こうして一緒に温泉で1日の疲れを癒して美味しいものを食べたりしている。
身の回りにコミットしなくてはならないことが、とてもいっぱいあるんだ。
みんながあれはどうなったか、これを教えてほしい、この書類を作って欲しい、見積もりをあげてほしい、これを修理してほしい、この会議に参加してほしい、そう全方向から言ってくる。
その上で親父が「今日私は何をすればいいのか」とか「夕飯が来ない、食パンがない」とか「ここが痛むんだけどどうにかしてくれ」と、毎日電話をかけてくる。
それだけで、どれほど人生の時間の多くを持っていかれてしまうことか。
今の政治のことは、本当に最悪だと思う。
だけど、もう人生も折り返し地点を過ぎ、手の届かない遠いことに対して憤ったり、嘆いたりすることに時間を割きたくはないんだ。
なるようになる、そう思って、自分はただただ機嫌良く生きていきたい。
そう夫氏は言う。
それはひとつの見識だと思う、もちろん。
自分には興味と余裕があるから、調べたり、考えることができているんだとも思う。
誰もが一人の人として、各々の人生を一所懸命生きていて、余裕のある人は少なく、誰もがそれぞれの事情を抱えている。
そして私たちは民主主義社会の成員として知っておくべき教養を、恣意的に与えられていない。
そのことは重々承知の上で、その上で思う。
社会で起こっていることについてほぼ考えず、選挙に行かず、自分以外の立場の人々のことを自分ごととして想像することをせず、自分が今のままを維持できればとりあえず良いと考え、犠牲を見ず、多数派は多数派だから多分正しいとし、黙って傍観し、とにかく周囲に合わせて、やり過ごそうとする。
理由はどうあれ、もしもそういう方針の人が社会の大多数になってしまったとしたら、民主主義が節度を持って維持されることなんて、そりゃあるわけないよなーと。
それにしても、国民主権や基本的人権を全削除するような狂った憲法改変が、「時代に合ったアップデート」と言われる時が来るなんて、それをそれなりに多くの国民が賛成する時が来るなんて、さすがに想像できなかった。
淡々と暮らしながらも、なんてシュールな2026年、と日々思わずにはいられない。