みずうみ2023

暮らしの中でふと心が動いたことについて書いています

海と末っ子との日々

雨音で目が覚める。

ドアを開けると、新鮮な空気が流れ込み、強い雨が降っている。

今日は台風の一日。

用事で出かけずに済むのなら、雨に閉じ込められるような一日って心が落ち着いて大好きだ。

 

見渡す限り家がびっしりの自然の少ない町に住んでいる。

身近な唯一の大自然は海だから、健やかに日々を暮らすために、普段からすごく海の力を借りている。

寒い季節以外は、早朝に海まで散歩に行く。

サイクリングロードをしばらくぽてぽてと歩いて身体を目覚めさせてから、砂浜に座って瞑想をしたり、寝っ転がって空を眺め、気持ちのいい空気を身体いっぱいに満たしてから、自転車に乗って帰る。

早朝に干潮が重なった波の強い日は、潮干狩りをしたり、夏は海に入って涼んだりもする。スマホを持っていって写真を撮る日もある。

海は毎日、何かしら発見するものがあって、飽きることがない。

家に帰っても家族はまだ寝静まっている。

コーヒーを淹れて、皆が起き出してくるまでは、こうして文章を書いていることが多い。

今、3つ書く場所を持っている。

 

皆が起き出してきたら、朝食の準備を始める。

早朝に小さな冒険をしていることを誰にも言わずにお母さんを始める。

そんな朝の時間を、とても大事にしている。

これをするのとしないのとでは、その日を過ごす心持ちがだいぶ違うから。

 

ところが、しばらく前から寝起きに私の姿がないと、5才の末っ子がひどく不安がって泣き叫ぶようになった。

保育園ではべつに私がいなくても楽しく過ごせているのに、家ではトイレに行っても、庭に出ても、ゴミ捨てに行っても、私の姿が見えなくなるとすぐさま大声で「おかーさーん!」と近所じゅうに響きわたる大声で叫び、探す。

はーいここだよ、と返事を返して急いで用事を済ませて傍らに行くも、どうしていなくなったの、と責められる。

めちゃくちゃ可愛いけど、めんどくさい。

早朝私が海に行っている間に起きて叫びまくるということが何日かあって、夫氏から毎日これで起こされるの勘弁、ご近所にも申し訳ない、とクレーム。

あーもう当分朝のルーティーンは諦めるしかないのかも、つらい・・・とがっくりしていたのだけど、はたと思いつく。

そっか、末っ子も一緒に連れてけばいいのか。

 

最近、末っ子は補助輪なしの自転車に乗れるようになって、大得意だ。

だから、早朝の海に自転車で一緒に行く?と誘うと大喜びだった。

部屋着のまま腕時計だけつけて、小さなビニール袋ひとつポッケに入れて、自転車にまたがる。

まだ早朝の車もがらんとした広い道を、末っ子は小さなべダルをくるくると高速で漕いで、意気揚々と海に向かう。

自分で自転車を漕いで移動することができるって、こんなにも世界が広がるわくわくするようなことなんだって末っ子を見ていると思う。

まっすぐ背を伸ばしてハンドルを握る後ろ姿を見ていると、もう本当に赤ちゃん時代は終わったんだなあ、と名残惜しく思う。

 

海に着いたら、手を繋いでしばらくビーサンでペタペタと遊歩道を歩く。

最近は歩くのに飽きて、なかなか歩かせてくれない。

だけど、小さい子と朝の海を歩くのは、とても素敵な気持ちだ。

すれ違う人たちが末っ子を見てちょっと笑顔になるのも、嬉しく思う。

今は、鳥のひなたちの巣立ちの季節で、つばめたちが遊歩道と防砂林の周りで飛ぶ練習をしている。

肩越しすれすれの低いところをびゅんびゅんと飛び交う。

なんとなく飛ぶのがまだ不慣れで、でもうれしくってたまらないみたいにむだにぐるぐる飛び回っているさまが、覚えたての自転車を漕ぐ末っ子と重なって、にっこりとした気持ちになる。

しばらく歩いた後は、波打ち際まで行ってきれいな石や貝やビーチグラスなどを集めたり、いきものの死骸を観察したりしてから、家に帰る。

この先は、海水パンツで海に行って、海に入ることも増えそうだ。

 

先週は、何度か夜の海にも行った。

長年この町に住んでいて、これまで話題にならなかったのに(私が知らなかっただけかも)、なぜか今年はにわかに「夜光虫」のことを誰もが口々に興奮気味に語り、完全に流行っている状態だった。

夜光虫とは、海洋性プランクトンのこと。

昼間、赤潮が見られた場所に行くと、波間にLEDライトが仕込まれたくらいの明るさで、海が青く光る。

ネットでさかんに情報が飛び交い、海岸線のライブカメラをチェックして、夜の海岸に大勢の人が繰り出していた。

私たちも夕飯後に車に乗り込んで、水曜日はとりあえず江の島まで行ってみたものの空振り、こりずに木曜日はちゃんと情報をゲットしてから茅ヶ崎海岸に行って、無事見ることができた。

その日は濃い霧が出ていて、すべてがぼんやりけむって美しかった。

波間で夜光虫が青く光るたびに、おおーと歓声が上がり、陸の建物のカフェの入り口に掲げられた松明やネオンがぼやけて光って、なんだか異国の町にいるようだった。

今年の初夏のいい思い出になった。

 

いつもいつかどこか別の、ここが私の場所って思う町で暮らすんだと漠然と思ってきた。

でも、私はこれからも多分、小さな違和感を抱えながら、この海辺の町にずっと住み続けるんだろう、と最近では思う。

いろんなお店や建物が、なくなっては新たにでき、町のかたちが変わってゆくさまを眺めながら、自転車にまたがってビーサンですいすい町の狭間を動き回って暮らしていくなかで、ゆっくり年老いていくんだろうな、と。