みずうみ2023

暮らしの中で出会った言葉や考えの記録

子育て仲間

娘氏は横浜で柔道教室、夫氏は雪国で仕事。

息子氏はさっきバイト先でのパーティから帰ってきて、これから寝て起きたら世話になった先輩の帰国前のコンサートとのこと。

末っ子は夜中熱を出してぐずって浅い眠りだった。朝には熱も下がって、朝焼いたチーズスコーンを周りを粉だらけにしながらもりもり食べ、昼前にまたこてんと寝てしまった。

ようやく、しばしひとりの時間。

 

保育園のお友達のパパさんから、「昨日一緒に遊んだ公園にまた今日も来てます、良かったら」とラインが来ていたけど、そういう訳でお断りのメッセージを送った。

このところ、毎週末会っている。保育園外での、唯一の末っ子の遊び仲間だ。

 

末っ子が高齢出産だったことと保育園通いのために、なかなか末っ子つながりのお友達ができないままにここまで来た。

上の子が小さい時は、なんだかんだでいろんな人と忙しいくらいに楽しく交流していたので、今回も自然とそういう風になるものかなと思っていたけれど、コロナのことも大きくあったし、そうはならなかった。

周囲のママさんたちと一回り年齢が離れているということは、なるほどわりと壁になるのだなあと実感することもたびたびあった。

上の子たちの時は全然何も意識せずに、幼児を全力で育て中のママの生活をどっぷりやっていたけれど、今はだいぶ違う心境の中にいる。

目下の懸念として、義父の急速な認知症の進行と、同時にがん治療がある。

今は新しい命を育むだけじゃなく、自分たちの親をいかにケアし、どう見送るかということが、精神的、実質的な生活の比重を大きく占めるようになってきてもいる。

今回はそうした状況や、自分の年齢的なことで、マジョリティーのサークルの外にいることを何かと実感する子育てである。

 

そんな中、保育園の帰りに「よかったら週末一緒に遊びませんか?ラインを交換してください」と少し緊張した面持ちで声をかけてくれたのが、末っ子の仲良しの男の子のパパだった。

パパはスペイン人で、ママはルーマニア人。私とはまた違う意味でマジョリティのサークルの外で子育てしている彼ら。

というか、話をしていて、私なんて彼らに比べたら楽なもんだと思う。

上の2歳半の下に5ヶ月の赤ちゃんもいるのだけど、コロナ禍で面会も立ち合いもできない、来日できないので両親のサポートも期待できない中、日本語しか通じない病院で一人で出産し、ここまであんまり知り合いもなく、夫婦ふたりで乗り切ってきた話を聞いて、それは相当な日々だったろうなとため息が出る思いだった。

 

子供を遊ばせながらする世間話は、子育てはもちろん、教育や政治や経済のことなども、自分とはまた違った枠組みに生きる人の話だけに、目からウロコなことが色々あって、面白いなあと思う。

彼らの目には、今の日本の円安不況は、自分たちの国に比べたらまだまだ全然ましだと感じるレベルみたいだ。

環境はもちろん大事だけど、簡単なパラダイスは世界中どこにもなくて、どこに住んでも、そこで一から生活を作り上げていく苦労は同じだなあとも感じる。

 

世の中のニュースは基本、悪いことやトラブルを伝えるものだから、自然と不正や腐敗や不足などを自分の中でクローズアップしてしまいがちで、恵まれていることはあんまり意識できない。

でも、彼らからよその国の話を聞いていると、自分の暮らしの便利で恵まれている部分を改めて気づかせてもらえる。

ニュースや本で見聞きしている彼らの国の話と、地べたのリアルな現実とは、やっぱりだいぶ異なるものだ。

自分の住んでいるエリアで当たり前のように受けられる医療の質や、各種病院のチョイスの多さとかはすごいことなんだよなあ〜とか思う。

 

与えられた環境の中で、できるだけ知恵を絞って楽しくやっていくということだよな、うん。

これからも家族ぐるみで協力しあって、大変な子育ての日々を少しでも楽しいものにしていけたらいいなと思っている。