みずうみ2023

暮らしの中で出会った言葉や考えの記録

気が済むようにする(生後1111日)

台風が過ぎた後から日に日に気温が下がって、夏が終わった感。

湿度の高さはまだ続いていて日中はむんむんするが、朝晩は思わず笑顔になる爽やかさ。

きっと今年もすぐに秋が終わって冬になってしまうだろうから、この短い季節をよくよく味わおうと思う。

今朝は明け方4時前に末っ子に起こされて、そのまま眠れなくなってしまった。

しばらくベッドの中でストレッチをしたり、「幸福人フー」の続きを読んだりしていたが、もう眠気がすっかり去ってしまったので、諦めて起き上がり、部屋着のまま自転車にまたがって海へ。

右手に江の島

 

サーファーがちらほら

 

家からちょうど10分。

ほんのひと時アーシングして、深呼吸して、またとんぼ帰る。

末っ子が起きた時に、私が近くにいないと機嫌がすごく悪くなるから。

最近の末っ子は、なんだかすごく私にくっつきたいみたいだ。

 

帰宅してしばらくすると案の定、寝室から末っ子のむずがる声。すぐに二階に駆け上がって抱っこをすると、悪うないという様子。

起き抜けに野菜ジュースを一気飲みして、小腹を満たすとにこにこで車のおもちゃで遊んでいる。

 

ほどなく夫氏も起き出し、いつもの朝食作りのルーティーン。

その間も数分おきに末っ子が「だっこー」と言って抱きつきにやって来る。

そのたび私は手を止めて、正面から顔を見て笑顔で、しばらくの間「かわいいね、好き好きよー」と言って抱きしめる。

そのうち満足そうにぷいと立ち上がってどこかに行くが、また私が椅子に座ったりすると、見計らったようにどこからともなく「だっこー」と戻って来る。

 

末っ子は、私の携帯電話、玄関に引っ掛けてある車のキー、S字フック、買ってきた見慣れない物、大人の持ち物をなんでも「ちょーだーい」とせがむ。

ダメよ、と言ったところで諦めず、ひどい時にはひっくり返って大泣きになる。

めんどくさくとも一旦渡すと、しばらくすれば満足して、ぽいっと手放し、その物たちは部屋のどこかで置き去りになっている。

その流れを横目で見ていて、放置された頃を見計らってさっと取り戻す。

 

キーワードは「気が済む」である。

とにかく彼の気が済むようにすることが肝要で、日々こつこつ、つどつど出来る限り気が済むようにするのが目標。(出来ないことも多々ある)

中には危ないものや割れ物など、渡せないものもあるし、何でも子供の言う通りにするわけではないが、実は「だめ」の半分以上は、自分がめんどくさいだけである。

毎日幾つもの小さい「めんどくさい」を乗り越えて、エゴを手放し、しばし手綱を相手に渡す。

結局急がば回れで、それが一番スムースなのである。

つくづく子育ては忍耐と工夫だし、それは自分に時間や心の余裕があってはじめてできること。

だから余裕は死んでも守るのだ。

気がつけば、いくら呼んでもだっこなんてさせてくれなくなる。

そんなんまじであっという間である。

今を楽しむべし。そう思いながら胸と胸を合わせてぎゅーと末っ子を抱きしめる日々である。

 

そして子供に限らず人間皆そうだよな、と思う。

人間のさまざまなこじらせや、恨みつらみは、「自分の気の済むようにやれなかった」に端を発しているように思う。

どんだけしょうもなくとも、間違っていようとも、成功の見込みがなかろうとも、

他人を害しない範囲において、人は自分の気の済むようにやるに越したことはない。

相手が誰であれ、本人の気が済むようにできるよう、足を引っ張らないということが、他人の正しいありようであろう。

あれこれ考えて何か良いこと言ったりしたりするより「どうすれば目の前の相手が気が済むようにできるか」を共に考えることの方が、よほど意味あることなんだろう。