台風が過ぎた後から日に日に気温が下がって、夏が終わった感。
湿度の高さはまだ続いていて日中はむんむんするが、朝晩は思わず笑顔になる爽やかさ。
きっと今年もすぐに秋が終わって冬になってしまうだろうから、この短い季節をよくよく味わおうと思う。
今朝は明け方4時前に末っ子に起こされて、そのまま眠れなくなってしまった。
しばらくベッドの中でストレッチをしたり、「幸福人フー」の続きを読んだりしていたが、もう眠気がすっかり去ってしまったので、諦めて起き上がり、部屋着のまま自転車にまたがって海へ。
右手に江の島
サーファーがちらほら
家からちょうど10分。
ほんのひと時アーシングして、深呼吸して、またとんぼ帰る。
末っ子が起きた時に、私が近くにいないと機嫌がすごく悪くなるから。
最近の末っ子は、なんだかすごく私にくっつきたいみたいだ。
帰宅してしばらくすると案の定、寝室から末っ子のむずがる声。すぐに二階に駆け上がって抱っこをすると、悪うないという様子。
起き抜けに野菜ジュースを一気飲みして、小腹を満たすとにこにこで車のおもちゃで遊んでいる。
ほどなく夫氏も起き出し、いつもの朝食作りのルーティーン。
その間も数分おきに末っ子が「だっこー」と言って抱きつきにやって来る。
そのたび私は手を止めて、正面から顔を見て笑顔で、しばらくの間「かわいいね、好き好きよー」と言って抱きしめる。
そのうち満足そうにぷいと立ち上がってどこかに行くが、また私が椅子に座ったりすると、見計らったようにどこからともなく「だっこー」と戻って来る。
末っ子は、私の携帯電話、玄関に引っ掛けてある車のキー、S字フック、買ってきた見慣れない物、大人の持ち物をなんでも「ちょーだーい」とせがむ。
ダメよ、と言ったところで諦めず、ひどい時にはひっくり返って大泣きになる。
めんどくさくとも一旦渡すと、しばらくすれば満足して、ぽいっと手放し、その物たちは部屋のどこかで置き去りになっている。
その流れを横目で見ていて、放置された頃を見計らってさっと取り戻す。
キーワードは「気が済む」である。
とにかく彼の気が済むようにすることが肝要で、日々こつこつ、つどつど出来る限り気が済むようにするのが目標。(出来ないことも多々ある)
中には危ないものや割れ物など、渡せないものもあるし、何でも子供の言う通りにするわけではないが、実は「だめ」の半分以上は、自分がめんどくさいだけである。
毎日幾つもの小さい「めんどくさい」を乗り越えて、エゴを手放し、しばし手綱を相手に渡す。
結局急がば回れで、それが一番スムースなのである。
つくづく子育ては忍耐と工夫だし、それは自分に時間や心の余裕があってはじめてできること。
だから余裕は死んでも守るのだ。
気がつけば、いくら呼んでもだっこなんてさせてくれなくなる。
そんなんまじであっという間である。
今を楽しむべし。そう思いながら胸と胸を合わせてぎゅーと末っ子を抱きしめる日々である。
そして子供に限らず人間皆そうだよな、と思う。
人間のさまざまなこじらせや、恨みつらみは、「自分の気の済むようにやれなかった」に端を発しているように思う。
どんだけしょうもなくとも、間違っていようとも、成功の見込みがなかろうとも、
他人を害しない範囲において、人は自分の気の済むようにやるに越したことはない。
相手が誰であれ、本人の気が済むようにできるよう、足を引っ張らないということが、他人の正しいありようであろう。
あれこれ考えて何か良いこと言ったりしたりするより「どうすれば目の前の相手が気が済むようにできるか」を共に考えることの方が、よほど意味あることなんだろう。