みずうみ2023

暮らしの中で出会った言葉や考えの記録

「さようなら」

訃報が報じられてから、谷川俊太郎さんの詩がSNSからいくつも流れてくる。

今月の初めにはクインシー・ジョーンズも亡くなった。

存在が世界の良心の一部であるかのような、大木のような人たちが去っていくことに、何とも言えない淋しさを感じる。

 

私は普段から短歌は好きでよく読むが、詩にはそれほど親しみはなく、谷川さんについても詩よりはむしろ対談やエッセイをたくさん目にしてきたと思う。

訃報を知って真っ先に浮かんだのは、矢野顕子の「ピヤノアキコ。」という弾き語りアルバムに収められた「さようなら」という楽曲。谷川さんが作詞をしている。

 

どんなジャンルの創作物でも、力のあるものは「そのもの」を超えた風景の広がりを五感で感じさせる。

ありありと作品のイメージがビジュアルで思い浮かぶものはもちろん。

いつかの痛みや悲しみや懐かしい記憶を呼び起こすもの。

誰かに会いたくなったり、無性にお腹が減ったり、誰かに優しくしたくなったり。

その作品が生み出された時の風景に思いを馳せたくなることもある。

 

私は矢野さんの「さようなら」を聴くと、いつ何時でも「少年が冷たく冷え切った頬を上気させて寒い空気の澄んで空一面に星がまたたく夜空をひとり見上げている、心細いような清々しいようなイメージ」が浮かんで、ふっと心が持っていかれてしまう。

訃報を知って聞き返してみたら、矢野さんのピアノアレンジも素晴らしく、久々にしみじみと聴き入ってしまった。

 

 

さようなら

 

ぼく もう いかなきゃなんない すぐ いかなきゃなんない

どこへいくのか わからないけど さくらなみきのしたを とおって

 

おおどおりを しんごうでわたって いつもながめてるやまを めじるしに

ひとりで いかなきゃなんない すぐ いかなきゃなんない

 

どうしてなのか しらないけど おかあさん ごめんなさい

おとうさんに やさしくしてあげて

ぼくも すききらいいわず なんでもたべる ほんも いまよりたくさん よむとおもう

 

よるになれば ほしをみる ひるは いろんなひとと はなしをする

そして きっといちばん すきなものをみつける

みつけたら たいせつにして しぬまで いきる

 

だから とおくにいても さびしくないよ

ぼく もう いかなきゃなんない