ここ数日、暑い中にも空気に秋の気配が混じるようになっている。
夕方になると、蝉だけでなく、鈴のような秋の虫の声がするようになった。
日中はもくもくと入道雲が立ち上っているのだけど、夕暮れ時は空も涼しげでうっとりと緩む。
後ろの座席に末っ子を乗せて電動自転車をほげーと漕ぎながら、毎日空ばっかり見ている。
肝を冷やした一週間をなんとか踏ん張り、末っ子は3歳になり、来週には9月だ。
よし、生きてる、なんとか生きてるぞ。
いっぱいいっぱいのため、あんまりいろんな事に気が回らなくて、ちょっと地面から浮いたみたいな感覚が続いている。夕方になると待ちかまえたみたいに缶チューハイを流し込み、程よくどうでもいい気分になり、のろのろ夕飯を作って、一日の終わりまで乗り切る。
ひりひりした日々は、まだしばらく続く。
午前中は、外で遊ばせるには暑かったので、末っ子と近所のモールへ行き、本屋の知育玩具コーナーで遊ばせてるのを見守りつつ、ヨシタケシンスケ「あんなにあんなに」をふと手に取って、うくくと笑い、自分もこれくらいのキャパだわと苦笑し、人生のせつなさに涙した。
こんな本だなんて不意打ちすぎる、もう〜。
「こんとあき」くらい、何度読んでも泣いてまうやろという本だった。
子供がいつの間にか育って別の生き物みたいになって外の世界に出て行って、またうちにはちっちゃな子が来て、また絶え間なくどんどん育っていくのを、今、目の当たりにしている。
全部が不思議すぎるし、過ぎたものは一つも取り戻せないし、繰り返す。
なんとめんどくさく、愛しいことだろう。
寝不足で腰が痛い中、限界まで子に付き合わされ、チョー不機嫌に雑になっているところに、出し抜けにこんな贈り物みたいな本に胸をいっぱいにしたりする。
そのしまらなさ、ばらばら感こそが日常の味わいだよなあと思う。
自分のだめだめさにいまだ激しく落ち込みつつも、最後の最後には自信を失うまい、そんな自分を愛すのだ、と言い聞かせている。