また一週間が始まった。
今週も引き続き悩みながら、地に足つけてやっていこうと思う。
ここ数年なかったが、今年は季節の変わり目の喘息に悩まされそうな予感。
昨夜は横になると喉がひゅうひゅういって、苦しくて寝られず、諦めて起き上がって息が楽に、眠くなるまで、「マスクガール」の続きを見ていた。
2023年韓国/原題 : 마스크걸/監督:キム・ヨンフン/全7話各話50〜60分
Netflixでは、最近クドカンによるオリジナルの日本のドラマも配信になっていたが、韓国ドラマの洗練、技術的クオリティの高さには遠く及ばず。
画作りがあまりに違いすぎて、日本のドラマを見るのがしんどくなっている。ネトフリであってもそうなんだから、当たり前だけどお金の問題だけじゃないのだよなあ。
本作は、序盤からのどぎつい暴力描写などに気圧されながらも、このドラマが浮き彫りにするものの壮大さにひきつけられずにいられず、入り込んで見ている。
閉塞感に満ちた韓国社会のニュアンスが嫌というほど伝わる演出だが、とりわけ日本は人々の価値観や社会インフラの面でぞっとするほど韓国社会に似通っているし、そしてSNSが人々に及ぼす影響という部分は世界共通。
今や世界中の社会にこのドラマのエッセンスがある。
あっと驚く極端なストーリー展開、でもそれはあくまで「引き」であって、それを描きたいわけではなくて、登場人物一人ひとりの「その人がそこに至るまでの過程」をすごく納得性をもってきちんと見せていく、そこがこのドラマの本分だ。
起こったことは点であり、そこのみを取り上げて善とか悪とか考えてみても片手落ちでしかない。
いかにしてその人が出来上がっていったのか。
最終的なアウトプットだけを見せられたら、狂ったモンスター、異常者のように見えるそのような人々は、果たして私たちとは全然違う異端の者なのか?
誰もがはなから騙したり誰かを加害したりすることをしたいわけではなく、その人なりの幸せを必死に追い求めていく中で、誰もが誰かにとっての加害者になり被害者になっていく。
その、人間のいじらしさへの悲しみと、残酷なおかしみの感情が押し寄せる。
私たちが「うざい」「キモい」「おわってる」と一刀両断に切り捨てているものの中には、一体何が含まれているのか?
社会の中で特異な事件が起こったとき、テレビのニュースでは、結果としての事実、点の情報だけがスキャンダラスに取り上げられ、それについてあらゆる人がああだこうだ言う。そしてだんだん飽きて次の事件が来たらまた同じことを繰り返す。
そんな浅はかなアプローチで分かることなど、本当はほとんどない。
実社会が面倒臭がって、耳を塞いでやらない作業を、このドラマが代わりに丁寧になぞっているのだ、ともいえる。
人は社会の産物なのだということがとても描かれている作品。
私たちはこんな社会に生きているが、本当にそれでいいのか?
息苦しいくらい強烈に問うてくる。