みずうみ2023

暮らしの中で出会った言葉や考えの記録

山本太郎氏の国会「講義」

この国がどれだけ国民の意思を尊重していないか、ここ最近報じられた案件を幾つか見ただけでよく分かる。

 

国民の70%、20代は90%が賛成の同性婚や、国民の70%以上が賛成している夫婦別姓は、「議論が足りない」と何十年も認められないままなのに、降って湧いたような共同親権は、さまざまな懸念や反対を無視して、あっという間に採決された。

議論の有無は関係ないのだ。

 

兆単位の税金を投じても、政府への信頼のなさ、必要性のなさから、結局5%しか普及してないマイナンバーカードは、今年の12月に強引に現状の保険証を廃止して、強制的に切り替えに。

国民の95%が要らないと言っているものを、権力で無理やり押し付ける。

 

一方、団体・企業献金の廃止や、政策活動費と文通費の使途公開は、見送りが決定した。

裏金作りの抜け道も温存され、腐敗は腐敗のまま。

結局、自浄作用ははたらかなかった。

 

なにこのやりたい放題。

どこの独裁国家だよ。

 

 

2024年4月18日の内閣委員会での山本太郎氏の国会質疑、すごかったので、いろんな人が見るといいと思う。

「なぜこの国の政治がここまで国民の意思を尊重しないのか」が、かなりコンパクトに分かりやすくまとめられているからだ。

 

政治スタンスは人それぞれだが、何はともあれ私たちは「事実を明らかにして国民に知らせてくれる政治家」は大事にすべきだと思う。

私たちの知る権利は、あまりにもないがしろになっている。

 

今、国会は事実上形骸化している。

第二次安倍政権で国民が自民党与党にあまりにも大多数の議席を与えてしまったので、それ以降、自民党がやりたいことは全部多数決で好き放題決められるようになった。

そうなったら自民党はあっという間にたがが外れた。

野党の力で変えられることがほとんどないという意味においては、国会での議論はもはや無駄である。

何を訴えても、どれほど糾弾しても「後刻理事会で協議します」「善処します」と引き取られて、結局棚上げされる。

 

ただ、この日に限らず、山本氏が国会で質疑する大きなモチベーションのひとつは、「講義」をすることなのだと思って見ている。

彼の質疑は、私たちが知らされていない事実、ほとんど取り上げられないために忘れたみたいになっている事実を、国民や他の議員に対して分かりやすく教示する、ある種の政治の授業だ。

彼の国会での一連の質疑を聞くだけで、この国の現状への基本理解は相当進むと思う。

彼の「講義」は、とても分かりやすく、勉強になる。

公的事実をベースに、数秒の無駄もなく詰め将棋のように緻密に組み立てられた質疑、気迫に満ちた語り口は、ちょっと他の追随を許さないレベルだ。

ドラマチックなやり取りは見ていて普通に面白いし。

 

この日彼が明らかにしたのは、いわばこの国の「公然の秘密」だった。

あるのにあたかもないように扱われ続けてきた、誰も表立ってまともに語ろうとはしない、「巨大な基本的事実」について、山本氏は、あっけらかんと事実を提示した。

これ、結構なアンタッチャブル案件なのではないかと思う。

 

一体、この国の政策は、どのような力学の元に、どういう決定プロセスでもって決められていっているのか。

そのことを、時系列でコンパクトに開示している。

自身の外交スタンスを述べる最後のパート以外は、私見は挟まず、あくまで事実の羅列で構成されている。

「具体的事実」は否定しようがないからだ。

 

この質疑を聞くと、なぜ彼が国会で「講義」を続けているのかが改めて納得できる。

自民党はいわばポチだから、首相を代えたり、自民党をどうこうすれば解決する問題ではない。

「自らの保身や利益のために国の政策や公共財産を平気で差し出すような人間には権力を持たせない」ことが肝要。

倫理観と勇気としたたかな交渉力を持った人物を支援し、権限を持たせることが大事だし、そういう次世代を育てることも大事だし、権限を持った人物が裏切り行為をしたら権限をすみやかに奪えるよう、常に監視していくことも大事。

それには、国民が政治のことを何も知らず全部お任せします、みたいなことではやっぱり無理で。

時間がかかっても、国民一人ひとりが市民的成熟を目指すことしか、結局根本的な改善の道はないということになるんだろう。

 

長くなったので、この質疑のまとめは別記事で。

 

本題は7分10秒くらいから