みずうみ2023

暮らしの中で出会った言葉や考えの記録

何が起きようとも何も起きていない国

震度7地震が起こってから6日が経って、改めて言葉を失っている。

この国の劣化に。

13年前に起こった東日本大震災を教訓に生かせていないとかいうレベルの話ではない。

政治、行政機能、経済、社会のインフラ、メディア環境、そして人心。

13年前よりも、全てが大きく劣化しているさまが災害によってあらわになっている。

ほんとうに今、日本の社会はやばいことになっていることを実感する。

 

年頭記者会見で、首相はおろしたての防災服を着て、憲法改正実現に向けて最大の努力をすると語った。

震災のたった3日後に言うことなの。

更に首相は、同日夜のフジテレビに90分間テレビ出演し、次期総裁選への思いを語った。

同じ時刻、極寒の被災地には、行方不明者が200人以上、生き埋め状態の人が100人以上残されていた。

 

政治家を一般人と一緒くたに「交通渋滞の懸念のため自粛」って、一体どんな屁理屈だよと思う。

大勢で行く必要はなくとも、誰も行かないなんてありえない。

政治家には、現地で何が起こっているのか、何が必要なのか、自らの目で見て耳で聞いて対応する義務があるはず。

国民の税金で雇われた代理人なのだから。

とっととヘリで現地に入れ、仕事をしろ、と思う。

激甚災害認定は今日ようやく。全てが無能すぎて怖い。

的外れなネット叩き、しょうもない言い合いが繰り広げられているさまも、嘆かわし過ぎる。

今起こっている「ボランティア自粛バッシング」は、緊急事態に際して、何のリーダーシップも発揮できない無能な人間が、自らの無為無能を正当化するための保身の言い訳でしかない。

でもそのしょうもない保身のために、被災地で見捨てられたり危険に晒される人がいるという現実は、許しがたいことだと思う。

 

混乱のさなか、TVメディアは早々と通常通りに戻りつつある。なぜ?

今回の震災に対する強い違和感の一つのアンサーともなる内田先生の見解。

官邸が震災の報道に接して取ることの出来る選択肢は二つありました。

一つは「国難的危機である」ことを訴え、記者会見で、党派を越えた挙国一致的支援を求め、すぐに現地入りして陣頭指揮を執り、「万博中止も視野に」くらいの前のめりな発言をして、リーダーシップをアピールすること。

もう一つは正常性バイアス」に従って、たいした災害ではないという印象をメディアを通じて訴えること。

そして「原発稼働は日本列島では不可能」と「万博中止」の世論形成を抑え込むこと。

財界と維新に「いい顔」をするためには必須の選択肢でした。

官邸は第二の選択肢を取りました。

国難」だという世論は「だからこそ緊急事態条項が必要」という方向にリードすればいいと踏んだのでしょう。

余りに支持率が低いので、もう国民的人気を目指す気を失ってしまい、「身内への利益供与」にしか関心がなくなったようです。

内田樹@levinassienの旧ツイッター 2024/1/5のツイートより引用)

 

第二の選択肢を採ったと仮定すると、首相のテレビ出演も含めて辻褄が合う。

人の命を何とも思っていない、身内への利益供与にしか関心のない首相なんて、頼むから今すぐにやめてほしい。

 

でも、これまでだって彼らはずっと同じことをやってきたのだ。

辺野古もオリンピックも不必要な布マスクも度重なるワクチンもマイナンバーも、どれも身内への利益供与のために、民意も合理性を度外視して無理やり行われてきたのだし、その陰で弱者はいつだって翻弄され、見殺しにされ続けてきた。

マスメディアも裁判所も警察も検察も権力に従わせながら、緊急的な状況さえ利用し、都合の良い情報だけを流し、本当に必要なことは知らされない。

今回の震災に対する政府の対応は、「これまで通り」でしかない。

そのことを、私たちは知っているのに、どこまでも知らないふりをして生きている。

いつまで、知らないふりをし続けるのだろう。

それを長い間続けた結果、何が起こったのか。

この国は「何が起きようとも何も起きていない国」になった。

何が起こっても、情報操作と世論捏造によって、事実が歪められたり、ないことにされたりするということが、日常茶飯事になっている。

 

今の政府のような、権力にとって都合の悪いことを隠す体質においては、権威の言うことを鵜呑みにすることはほんとうに命取りになる。

なぜか多くの人が、支配者目線、経営者目線で物事の適否を考える。

自分もないがしろにされ、打ち捨てられる側でしかないのに。

 

何が真実かを見極めるのがとても難しいからこそ、第一次情報であるかどうかを意識することや、多数派や強い側ではなく、弱く困った立場にある側にエンパシーを寄せながら考えることを、自分の中の最低限のルールにしている。