Netflixの「ブラック・ミラー」というディストピアSFドラマを見ながら洗濯物を畳んでいたら、家の電話が鳴って、隣の部屋にいた夫氏がそれを取ってくれたな、と思いながらながら家事を続けていたんだけど、電話を切って出てきた夫氏の話を聞いて、びっくりして久々に頭が真っ白になった。
内容はここではちょっと書かないけれど、一気に何も手に付かない感じになってしまい、しばらくの間二人でボーゼンとしていた。
10分ほどでだんだん正気が戻ってきた。
自分たちでこういう人生を選んでいるのだから、それによって生じたことは、引き受けるしかしょうがない。
基本は、良くも悪くも世界の隅っこでこのスケールの小さい暮らしを日々やっていくだけ。
野望も陰謀もなく、静かに生きてくことだけ。
じたばたしても仕方がない。
世間の常識や、重要視するものが、自分にとってはどうでもいいことだったり、逆に自分が面倒でもちゃんとしたいことは、世間はないがしろにしても全然平気だったりする。
「ちゃんとした人」と見なされなくとも基本的にはそれで上等、それで全うする人生でいいと思っている。
誰にアピールすることもなく、自分なりのアナキズムを生活の中で実践してきたという感覚がある。
子がいると難しいけれど、社会の「制度に参加せよ」という要求たちを、可能な限り遠ざけながら生きたいという思いがある。
もちろん、そんなありようがある種の人の気にさわるということへの自覚はある。
出し抜けに思いがけない敵意を向けられるということに、以前は傷付きもした。
それらは自分よりずっと賢そうで物の分かった人からのアドバイスの形をとることが多いから、私はもっと自分を直さなきゃいけないのだろうと思っていた。
でも、自分とさして直接関わるでもない、迷惑をかけてるでもない他人がわざわざそういうことを言ってくるのは、どういうわけだろう?とよくよく考えたら。
こんな時、何はともあれこの人(夫氏)は私の運命共同体であるのだなと実感する。
ベースとなる価値観は、共有している。
その上で起こったことは起こったこととして、できるだけ早く「次すべきこと」に気持ちを切り替え、そこですばやくタッグを組んでいく。
運がいい人とか悪い人とかって言うけど、そんな人はいないよね。
運がいいことも悪いこともどっちも、ごちゃ混ぜで降りかかってくるのが人生だ。
そう言い合って、気を取り直して、今日の洗濯物を協力してさっさと干して、しばし解散する。