台風が近づいているらしい。
不謹慎だが子供の頃から台風好きである。
嵐の予感を含んで空気がむんむんしているさま。
妖しい色の空をすごい勢いで流れていく雲。
全ての動きを止めてただ観念するしかないような雨風。
台風の目に入った時の真空のような静けさ。
過ぎた後の全部洗い流したようなビビッドな世界。
子供の頃は、よく傘差して一人近所を歩き回った。
生まれてこのかた中途半端な都市部にばかり暮らしてきたので、台風は日常の中で圧倒的な自然を感じる数少ないことだった。
地球温暖化の昨今では憚られることだけど。
娘氏は早朝5時から埼玉某所の森での撮影へ。
台風で日程が早まったので準備が大変そうだった。
仕事ではないとはいえ、初の自分仕切りでのモデル撮影なので、昨日は一日中あわあわしていた。
機材や準備のことなど、相当夫氏におんぶにだっこであったが、まあ、使えるものは使うが良かろう。
何はともあれ経験を積むという段階は、お金とか余計なことを考えず、出会いを楽しんでベストを尽くすだけ。シンプルで自由でいい。
お金について。
何かの作業をやる時に、内容は全く同じでも、それがお金かお金に繋がる何かしらの利益を生む行為でなければ、そのことの価値は格段に落ちると考えるのが今の世の中の価値観。
誰もがそこにとらわれている。
「どうビジネスモデルとして成立させるか」という方向性でばっかり悩んでいる。
しかし、もちろん例外はあるのだろうけど多くの場合、特別な強みや変化球を用いない庶民が、現状の日本社会システムのルールを遵守しながら、自分の人生のクオリティを守りつつ納得性のあるお金を稼ぎ出すことは、すでに相当な無理ゲーになっているのではないかと私は思っている。
今のこの国の政府は、全方位的に国民からお金を吸い上げることを至上命題としていて、今は開き直り感すら漂わせながらギアをぐいぐい入れ続けている。
国民はもう何をやっても大して怒らないし、すぐに忘れてくれるし、自分が職を追われる心配も全然ないので、政府はこれまでにないくらい国民を侮りきっている。
自ら大企業やカルト宗教の利益を代表する存在であることを隠そうともせず、新自由主義経済と利権のための政治を忠実に遂行し続けている。
物価高と、税と社会保障の負担で収入の半分以上が失われる状況の中で、では2倍働けばいいということでは当然ない。
人生とは時間なのだから。
生きてる時間の大半を賃金労働に捧げている状態を「成り立っている」とは言わない。
先週から何人かの人と話す中で息苦しさを感じた。
どんな日常の些細な世間話や愚痴であっても「ルールはルールだから正しい。決められた枠組みの中で賢く立ち回って、なんとか少しでも多く得たい」という思想が、自明の前提のようになっている、その語り口に。
いや、そもそも私はこんな前提受け入れたくないのですが。
これほど間違った理不尽なことが日替わりで起こり続けているのに、どうして怒りもせず、粛々と従い続けることができるだろう。
「不平不満を言い出したらきりがない。文句を言わずに目の前の仕事に一所懸命取り組めば、人間ひとり生きていくくらいはなんとかなるから」
と、以前友達が言っていた。
額に汗してひたむきに働くことは、もちろん立派なことだと思う。
このロジックで語られるたび、自分は甘えたわがまま人間なのかな、と疑わしく後ろめたく思う気持ちが込み上げる。
けれど、皆時間も心も余裕がない、必死に生きていることを分かった上で、あえて問いたい。
それでどこまでも政治に幅寄せされて、今こういう社会になってるんじゃないの。
右肩下がりの状況の中、思考停止して、頑張ればまだなんとか自分は生き抜ける。
でも、その後の世代のことは?子供たちにそんな社会を手渡すの?
そんな時に見つけた坂口恭平の視点が心に残る。
お金さえ取らなければなんでもできる。
この世はお金だ、と思い込んでる政治家たちが作ってる世界だからこそ、逆転してお金のかからない施設をつくれば文句言われない自由にできる。
(坂口恭平twitterより)
何をやってもお金が絡むと、あらゆる法律でがんじがらめ。でも、お金が絡まないことは政治家は眼中にないから、お金のやり取りのない場所ではなんでも好きにやりたいことができるんだよ、と彼は言う。
もちろん現実の貨幣経済の社会との折り合いはどこかでつけなきゃいけないわけだが、この発想の転換は、私をわくわくさせてくれる。
自分に飛び抜けた才能などないけれど、考えたい。
考えることを放棄して、ただ長いものに巻かれていたくはないと思う。
そんな恭平さんは、西日本新聞で、「その日ぐらし」という連載エッセイを始めるらしい。
私は、本を書き、絵を描き、歌を歌って、畑をやり、死にたい人からの電話を10年以上無償で受け続け、20年以上も何かを作り続けています。さらに、そううつ病でもあり、毎日万華鏡のように日々変わる生活を送ってまして、最近では少しずつ楽しめるようになってきました。そんな日々をつづっていこうと思っています。(西日本新聞「筆者の言葉」より)
ここ数年、彼の言葉や動きをSNSや著作を通じて見たり読んだりすることが習慣化している。
結局のところ、私は希望を見たいんだと思う。
坂口恭平さんは、この暗い時代の中にあって、自らの存在を通して希望というものを世界に見せてくれている。
彼がこうして万華鏡のようにくるくる変わりながら今日も生きてるってことに、私は随分勇気をもらえている気がする。