みずうみ2023

暮らしの中で出会った言葉や考えの記録

今年の夏

暑さで完全にへばっている。外遊びがどうしてもしたい末っ子に付き合って、人気のない炎天下で短時間だけ遊ばせるも、見守っているだけで熱中症になりそうな週末だった。

 

末っ子は言葉がだいぶ使えるようになったが、言葉でコミュニケーションが取れたことをシンプルに喜び合う麗しい時期はすぐに過ぎ、今は自分の言った通りにならぬことに日々激オコ状態である。

末っ子は、ギャンギャン怒りながらめいっぱい甘えてくる。

でも、しっかり体をくっつけて、目の前の子供だけに意識を集中するとすとんと落ち着いてくる。

めんどくさくも、かわいい。

汗と泥で共にぐじゃぐじゃにまみれながら、めまぐるしく喜怒哀楽に振り回されるのが、幼児との暮らし。

今日も外はむんむん、ギラギラしている。

まだ8月は始まったばかり。

(海岸で花火大会)

 

一方、がんで認知症の義父は、この暑さで全く食欲が出なくて、1週間で2キロ痩せたと訪問看護師さんから報告があった。

辰巳芳子さんの「いのちのスープ」を本棚から引っ張り出して、久々にレシピに忠実にじゃがいものポタージュを作って鎌倉まで届けてきた。

とりあえず完食してくれたけど、冷蔵庫に置いてきた残りのスープのことは、多分忘れてしまうのだろう。

 

社交的で、仲間とのゴルフや山歩きを欠かさなかった義父は、コロナのステイホーム期間中に急激に認知症が悪化した。

「なんだか最近全然誰からも声がかからない。みんなどこに行っちゃったのかな。つまんなくなったよ」

今は、日常の記憶が不確かなために、きっと知らないところで、友人知人のみなさんと色んなすれ違いも相当あったのだろうと思う。

「あの人はもう分かんなくなっちゃったから」という扱いをどうか受けていませんように、と思う。

 

本人には病識がない。

がんであること、認知症であること、そのためにこういう内容の治療をしているんだよ、と何度説明しても、その場ではさしてショックでもなさそうにふんふんと聞いているものの、見事に全て忘れる。

「で、どうして俺はここ(病院)にいるんだ?」

 

いつも頭が混濁した状態で、寄る辺なく、あんまり楽しいこともないし、何かあったとしても忘れてしまう。

一昨日実家の父と話した時も、パーキンソン病の進行のせいで、全然言葉が出てこなくて、あんまり会話にはならなかった。

歳を取ることはさびしく厳しいことだなと思う。

でも、生きてる限り避けがたく誰もがそうなる。

 

育てつつ、見守りつつ、見送りつつ過ごす夏。

暑くて、しびれる夏だ。

それぞれができることをやってくのみ。