みずうみ2023

暮らしの中で出会った言葉や考えの記録

あっぱれな人

金曜日。

曇っているけれど、それほど寒くはない。

この薄暗さにほっこりしている。

 

先週は末っ子の病気で引きこもっていたが、今週は家族以外の人とよく喋ったり(メールやラインなどの)やりとりをし、成り行きで仲介的なこともし、刺激の多い一週間であった。

 

長い付き合いで何となく知ったつもりになっている身の回りの人たちを、いかに自分が知らないかを思い知ったし、

考えの大きく異なる他者を前に苦しく感じる自分を通じて、普段無邪気に自分の考えを話すことで、周囲の人を苦しくしてしまっていることがあるのではないかということに改めて思い当たったし、

だから普段、多様性大事とか偉そうに言ってるわけだが、気がついたら「違う」ことにモヤモヤしたり、心の中で反論したりしてしまっている自分の器の小ささにがっくりしたり、

人はそれぞれ大事に思うこだわりポイントがあって、私はそれをちゃんとリスペクトできただろうか、無神経に傷つけなかっただろうかと悩んだし、

そんな、人と関わる嬉しさと人間に対するどうしようもない敗北感がぐじゃぐじゃに混じり合って、気持ちが乱れた。

夫氏は感情の振れ幅が少ないので、私は気持ちが混乱した時は、クマみたいな彼のお腹に無言で巻きついて、落ち着くまでしばし「放電」する。

娘氏や末っ子がそれを見るとすかさず自分も巻きついてくるので、やにわだんご状態になる。

いつも突然始まるだんご状態に、夫氏はなんだなんだと苦笑いして腹をかしているが、そのうち飽きるとみんなぱっと散開して、何事もなかったみたいに自分のことをやり出す。

そのようにして、クマの腹の力も借りつつ、なんとか平常心を保っていく。

 

 

今週、ほぼ1年ぶりに会った友人が、早朝から夕方までばりばりと人の生き死にに関わるハードな仕事をして、仕事が終われば格闘技したり、お酒を飲んでわいわい騒いだり、子供の送り迎えなどの世話をしたりしている、家族の朝晩のご飯も作っている、来月子連れでヨーロッパへも行く、睡眠は平均3時間、それでも全部笑い飛ばして豪快に生きているさまを見て、心から感心したし、いっぱい笑わせてもらえて、会えて嬉しかったなあ。

とても真似なんてできないけど、見習うものがたくさんあるなあと思った。

 

雑多な人にまみれて生きている彼女と違って、自分は日頃、いかに安全で傷つくことの少ない安全地帯でちっちゃくまとまって生きていることかと思う。

自分は狭く偏っており、とにかく弱すぎるように思えた。

十代でもないのにガラスのハートかよ、という感じ。

 

高齢出産と更年期で身体が長期間よれよれだったので、体力を温存しつつ無理せず過ごすということが至上命題みたいになっていた。

コロナでステイホームの3年だったので、そんな生き方がしやすかったということもある。

だいぶ身体も回復してきてもいるし、私もそろそろ世の中に出ていかねばなるまいよ、と彼女を見ていて強く思ったことだった。

 

正直に書くけど、私はその豪快な彼女のことが、ずっと苦手だった。

彼女はとにかく予定をいつもぎゅうぎゅうに詰め込んで、常にダブルブッキング、トリプルブッキングしているような暮らしで、約束をしても予定を忘れたりドタキャンしたりが9割みたいな人である。

それでも予定をキャパ内でセーブしようとはせず、仲間内の集まりにもノリノリで関わってこようとする。

色々気を回して調整しても、彼女の対応はいつもルーズで、返信もろくに来ないのだった。

(今年の夏の集まりの時は、ハードスケジュール過ぎて倒れてさすがに諦めていた)

でも、会えばいつも楽しく愉快な人で、一瞬で場の中心になってしまう。

私はそういう彼女のいい加減さにイラっとすることが多かったし、彼女の楽しむことへの貪欲さもどこか疎ましく思っていたと思う。

彼女は確かにとても魅力的な人だけどとても信頼はできない、したら裏切られて悲しい思いをするから。こういう人とは一対一では付き合えない、と。

 

でも今回、彼女の生き方がいよいよ極まってきたさまと、それを笑って受け入れている他の仲間たちの様子を見て、深く感じ入るものがあった。

彼女は、それが他人にはどれだけ破綻して映ろうが、自分が幸せで充実して生きていられるように人生をまっすぐデザインできている。全方位的に他人の目を全然気にしていない。

なんの無理も見栄もなく、家族は仲良く、みんな母ちゃんが大好きで、もし明日死んでも悔いないんだろうなと思うような清々しさを感じた。

彼女は今回もやっぱり約束を忘れていたし(念の為ラインしてみたら案の定)、来ればお酒もザルでどんだけのペースで気にせず飲むねん苦笑、という感じだったけど、他人に迷惑かけてはいけない呪いや、同調圧力があまりに強いこの日本の社会で、自分の生き方やり方を貫いて、見事周りにそれを認めさせる域に達したのだなあと思った。

彼女のありようってほとんど坂口恭平じゃないか、って。

 

そっかー、私は彼女がずっとねたましかったんだなと思った。

自分はいい加減な人だと思われたくなくて、自分をすり減らして「ちゃんと」して、貪欲だと責められぬよう自分を後回しにして、そういうことに自分はいっぱい時間や労力を割いて、余力もない。

私もいちいち返信なんかせず、彼女みたいに1ヶ月半放置して「やっべ、まいっか」とかできればどんだけいいだろうと思うけど、小心者だから難しい。

自分も彼女みたいに堂々と「選択と集中」をしたかったんだよなあ。

とりわけ今の社会は、配慮的であろうとすると、どこまでも奪われてしまう、だから鬱の人もこれだけ多いのかもしれない。

 

大人として生きていると、皆、色んな不本意なものにもかかずらって、それらに時間や資源を奪われたり消耗させられたりして、人生の時間が過ぎていく。

彼女にももちろん人生で降りかかってくるものたちはある。家族のことやお金のことなど色々あるが、それらから逃げたり、他人に押し付けるという感じでは全然ない。

彼女はやりたいことをやっているが、ちっとも自分勝手な人ではない。

むしろそのバイタリティーでもって、ライフイベントや災難を、すごいクリエイティビティとリーダーシップでやっつけて、最終的には笑い話にしてしまう。

 

彼女の生き方は、一つの達成だし、純粋にあっぱれだよなあ。

自分が一番機嫌良くいられるようなライフスタイルはどんなかを良く知って、それに従って生きている。

どっちも欲しい、どっちもやりたいなら、なんとかやれる方法をひねり出すのみだ。

まず自分を満足させて、家族やコアメンバーを大事にして、仕事の責任を果たして、そのサークルの外側にいる人々とは、適当にその場その場で楽しく関わっていくのみ。

彼女にとって本質的でないことに関わっている暇はない。

身体的にも、精神的にも。

 

 

広告や教育は「こういうのが幸せ、まっとう」みたいな型を押し付けてくる。

いつの間にやら洗脳されて、そんな型に自分をはめ込んで合わせようとするから、自分の人生が腑に落ちない。

自分がどうだったら幸せかは、当たり前だが全員食い違う。

他人にとってどれだけ意味不明でも、自分にとってはこれだなってものが分かっていることがほとんど全てだなと思う。