みずうみ2023

暮らしの中で出会った言葉や考えの記録

「老後とピアノ」

週末は、いつものように風邪気味鼻水だーだーの末っ子に沿ったシフト。

連日屋内施設で遊ばせる三連休だった。

最近ではもうさすがに、この子はどっちかというと身体の弱い子なんだという構えでやっていくということなのだなと観念している。

とことん振り回され、めちゃくちゃ救われている。

このあくまでイキのいい謎の小動物は、それでもまあまあこの家で暮らしていることを楽しそうに、私のことを心から好きそうに基本笑顔でいるので、そーかそれなら良かったよ、と情けないほど疲れていても、日に何度でもにっこりと気持ちを立て直させてくれる。

こんなめんどくさいうちに来てくれて、メンバーの一員になってくれてありがとう、という気持ち。

 

稲垣えみ子著/2022年/ポプラ社

 

私は、そんな幼き火の玉小僧を育てながら、同時に自分と夫の老いた両親のことを気にかけ、自分自身の老後についても日々つらつら思索しているという、まことにシュールな状況を生きている。

多分、私はこの先の人生の様相がうまくイメージできていないことが不安なんだと思う。

あまりにもドラスティックに社会は変わり、ばあちゃんの生き方はもちろん、母親の生き方も全く指針にはならない。

時代の気分やモラルの感覚も、社会システムも、すごいスピードで移ろい続けている。

 

だから、少し先行く先輩がシェアしてくれる「生きる勘どころ」みたいなものを、なんとか少しでもキャッチして、良い思想を自分なりに取り入れていきたいなと思っている。

私も含まれるいわゆる就職氷河期世代は、不遇の年代。

今、主要メンバーとして社会を牽引する役割を担っているはずが、目立った活躍をしている同世代人は存外に少ない。

もちろん、どの年代もそれぞれに大変とは思うが、この世代は社会に出るタイミングでのバブル崩壊で、世の中の状況が急激に悪化したためにチャンスを奪われ、激務で努力しても出世は見込めず、不安定な立場のまま年を重ねてしまった人は多いと思う。

だから、いわゆる目立ったロールモデルが不在なのだ。

そんな中でも、私にとって「この先輩の考えや、やることは共感するし参考になるな」と感じている人は何人かいて、稲垣えみ子さんはその一人。

ここまで何事も徹底して、入れ込んでやる意思の強さは自分にはないが、方向性は同じくしていると感じる。

彼女の語り口は、ちょっと自虐的で朗らかなトーンだけれど、一見軽い読みものに思わせて、内容は本質的である。

だって、彼女の生き方や各種チャレンジはどれも、小手先のハウツーではなく、既存の価値観を根底からひっくり返し、自分の人生を自分の手に取り戻す作業に他ならないからだ。

 

先日の「家事か地獄か」に続き、本書にもいろんなことを教えられた。

「何かしらの目標を定め、それに向かって懸命に努力し、誰かに認められることが成功であり価値である」

というのが、何をするにあたっても今の世の中で推奨される「当然の道のり」。

でも、本当に欲しいものは、そのプロセスの中には存在せず、自分の内の奥深くに既にあるという考え方にとても共感した。

 

力みとは、ああしてやろうこうしてやろうというガッツであり、もっと頑張らなきゃという切羽詰まった決意である。

ずっと、それがなけりゃ何も成し遂げられないと信じて生きてきた。

ところがそれを取り去ったとき、まるで水道管の詰まりが取れたように、生の自分とでもいうべきものが表に出てきたのである。

で、その生の自分というものが「美しいもの」であることに驚く。

私はずっと何事も目標を定め、それに向かって邁進すればすごいものを手に入れられると思ってきた。

でも、「本当のすごいもの」は、そんなものとは関係なくそこにあったのだ。

エゴを捨て去るとは、何かを信じるということだ。

自分を、曲を信じる。それは自然と歴史を信頼するということだ。

その巨大なものの中に自分も連なっているのだ。

勇気を出して、そう信じる。

自分の小ささと、大きさを同時に認めるということ。

(「老後とピアノ」稲垣えみ子著より引用)

練習とは「自分を掘り起こすこと」だったのだ。

硬く自分を覆っていたコンクリートつまり見えとか世間体とか、こうじゃなきゃ行けないという思い込みとか、そういう硬い覆いを柔らかく掘り起こし、その下に眠っていた一件平凡な、でも世界に一つしかない「石ころ」を取り出す作業が練習だったんじゃないだろうか?

焦らず、ダメな自分を認め、少しずつ辛抱強くそれを掘り返していく。

その中から少しでも何かが出てきたら、ほんの一小節でも自然に弾くことができたなら、それが私のゴールなのだ。

そして、もし明日も生きていたら、明日もまた同じことをすればいいのである。

それを気の遠くなるほど積み重ねていけば、いつかは6ページの曲が弾けるようになるかもしれない。

でもそうならなくても嘆くことはない。

何しろ毎日、知らなかった「ほんとうの自分」に出会えるのである。

それ以上何が必要だろう。

(同著より引用)

 

力みを抜くこと、信じること。

うーーん、言うは易しで難しい。

でも、この考え方は、自分には何かすっと腑に落ちるものがあった。

基本は、心から幸せにあれると感じることを、一歩一歩やっていくのみ。

その中で、自分の中にある思いがけない「美」にほんの少しでも出会えたらいいなあ。

それを想像するだけでわくわくしてしまう。