今日は午後から美容院。
はあもうやっと、このひどい状態から脱せられるよ、とほっとする。
美容師さんがひと月近くインドへリトリートに行っていたので、帰国後予約がぎゅうぎゅうで、ずっと行けていなかった。
髪がどうしようもない状態だと、無性に気分が下がる、なんとなく自信がなくなるし、気付いたら非社交的になっている。ということが今回ようく分かった。
服より靴よりお化粧より、髪の影響って大きいんだなー。
それにつけても美容師さん、私には夢みたいにうらやましい暮らしぶりである。
年一度はインドやスリランカのアーユルヴェーダの病院にまとまった期間リトリートへ行き、オーストラリアでサバイバルキャンプしたり、サーフトリップでバリへ行ったり。
日頃はシリアスなロングボーダーで、サーフィンにいそしみ、プロでないながらも相当な腕前みたいだ。
価値観を同じくする夫さんと好きなことを一緒に楽しんでいて、いつも充実してゆったり落ち着いている。
そんな彼女に前回会った時、今妊活してるんです、とさらっと言われて、とっさに「おー、そうですか、、」とつぶやいた。
私は彼女のゆとりのあるライフスタイルが常々うらやましいなと思っていたので、それらすべてが一瞬にして何年もお預けになり、自分のことは全部後回しのしっちゃかめっちゃかな暮らしにがらりと変わる、あの身に覚えのあるヘビィな感覚を一瞬想起して、他人事ながら一瞬ぐっと息が止まった。
もちろん、彼女は私のような考え足らずで「聞いてないよー!」みたいな情けないことではなく、色々考えて話し合って決められたんだと思う。
子どもも子どもとの暮らしも人によって全部違うし、他人がどうこう言えるようなことは一切ない。
でも、宙ぶらりんでしょうもなかった自分と違って、もう十分人間的にも成熟して、パートナーや仲間に恵まれ、好きなことを存分に追求する素敵なライフスタイルを築いている(ように私からは見える)ような方が、あえて子ありの人生に入るってことの修行味に一瞬震えたといいますか。
この情報に溢れ、検索すれば大抵のことは分かり、事前にリスクとベネフィットを考えて納得のいく選択をできる「確実性」の人生を生きてきた人ほど、まあまあな高低差であることには間違いがなく。
やりたいことがしっかりある人ならなおのことそうでなくとも、子を持つことを選ばないことは、人それぞれ個別の事情はあれど、社会の圧や、経済や、今のこの国の状況を考え合わせると、至極合理的な、ベストな選択のひとつとしか思えない、と思う自分がいる。
実際、自分も始まりはアクシデントだったもので。
それでも人生は全部結果オーライで、このように生きてみると、こうなったから良かったことしか思いつかない。何よりこの展開にならなきゃ彼らに会えなかった訳で。
どうあっても結果オーライだからこそ、誰もがどっちがどうということもなく、それぞれなりに幸せに生きている。
それまでの「自力でコントロール可能な人生」がガラガラガラと崩れるということは、やっぱり私の場合は実際そうなってみないと分からないことだったなーと振り返って思う。
私が考えなしだっただけで、事前に知っておくことは可能だと思う。
でも人間誰しもいつかは死ぬ以上、遅かれ早かれコントロール不能なポイントは誰にも等しく訪れるのだし、ままならぬことこそが人生の味わいなのだと言われれば、その通りだと答えるだろう。
どっちにしたって何を選んだって、人生は面白く、苦労は避けられない。
そして私たちは、自力で選んでいるようで、実は本当の本当には選べていないともいえる。
不確実な人生があまりに心もとないから、理由をつけて合理的に判断していると思っているけど、実は相当流されて不確実性の中を生きている。
できるのは、その時その時を大切に味わうことだけだ。
さて、ちょっと早めに家を出て美味しいバーガー屋さんで腹ごしらえしてから美容院へ向かおう。
みやげ話楽しみだなー