みずうみ2023

暮らしの中で出会った言葉や考えの記録

日本のショック・ドクトリン

100分de名著の「ショック・ドクトリン」の第4回(最終回)が昨夜放送だった。

タイトルに「日本、そして民衆のショック・ドクトリン」と銘打たれていたので、おおーNHKの地上波でどこまで言及できるんだろう、と興味深く見た。

日本がショック・ドクトリンを行使している事実についての明確な言及は、やはりなかった。

あることをあるとは言えないわけだから、これまでの回と比べると奥歯に物が挟まったような印象は拭えない。

 

でも、きっと一番もどかしく思っていたのは、堤さんや番組の作り手だったろう。

安倍政権以降の政府の行いについては一切触れなかったものの、NHKが中曽根、小泉が民営化を断行したことについて、多少なりとも批判的な文脈で触れたものを、私はこれまで見たことはなかったと思う。

VTRの後、パーソナリティーが「民営化の全てが悪いわけではない」ってしきりにフォローしてたけれども。

タイの例をあげ、一般論として「ショック・ドクトリンに抵抗する方法」を紹介していたことも有益だったと思う。

なんとかメタ的に、今この国で、私たちの身の回りで起こっていることもショック・ドクトリンなんだよー!って気付かせたいという、作り手のじりじりした思いを感じた。

この微妙なせめぎ合いの感じがなんとも。少なくともNHKには言論の自由なんて全くないなと苦笑する。

 

それにしても、今回改めて感じたのは、ショック・ドクトリンとは政府が国民に対してはたらく詐欺行為なのだということ。

だって、ショック・ドクトリンを避けるための対策が詐欺対策と同じだから。

堤さんは、政府の罠にかからないために「一旦、立ち止まること」「疑ってみること」をあげていた。

ありていに言って、相手に考える時間を与えない者とは、騙そうとしている者だ。

混乱したまま相手の意のままにならぬために、ちょっと待って、と流れを止めてみる。疑ってみる。

それって、まるきり詐欺師への対応やろ。

政府がそれって、普通にひどすぎないかと思う。

 

改めて、ショック・ドクトリンとは、テロや戦争、自然災害、パンデミックなどの非常時で人々がショック状態に置かれて呆然としている隙を狙って、平時なら賛成してもらえるはずのない、多くの国民にとって不利益の大きい法律や施策をグローバル企業と癒着した政治家がどさくさに紛れて一気に押し進めてしまうことをいう。

ショック・ドクトリン下で起こることの意味とは、それまでそこにいた人たちの暮らしを奪い、共同体を歴史ごと破壊して更地にし、大企業が安価で公共領域を一気に私物化するということである。

 

ショック・ドクトリンの手順は、このようなプロセスで進む。

①まず、これまで国有財産として規制をかけて守ってきた分野について、癒着している大企業がビジネスが好きにできるように規制緩和をする。

②その上で、政府が国有財産を民間企業に安価で売却して、民営化によって国の財産を私企業に移転する。

③さらに、政府が国民生活を守る上で行ってきた福祉や社会保障を削減して、人々の生活を自己責任化する。

つまり、規制緩和」「民営化」「福祉削減」がセットで進んでいるということは、ショック・ドクトリンが行われているということの証拠になる。

 

しかし、まともな頭で考えたら国民に何の益もないこんなことを、政府は一体どうやって進められるのか?

その時、政府はこのような手法を用いる。

●国民に考える時間を与えず、矢継ぎ早にすごいスピードで決めてしまう

●この方法しかない、この道しかない、と勝手に選択肢をせばめ、その前提の中で選ばせる

●しれっと気付かれぬよう、国民に不利な条件を紛れ込ませて、既成ルール化してしまう

 

これらはつまり、福島で、オリンピック下の東京で、万博・カジノを進める大阪で起こり続けていることである。

坂本龍一氏、村上春樹氏も声をあげている神宮外苑再開発も、これに当てはまる。一帯の木を伐採して更地化して、三井不動産とか伊藤忠商事とかが商業施設を建てる計画なわけだから。

この他にも挙げきれないほど、全国都市部の至るところで、コロナ禍で立ち行かなくなった多くの中小企業やお店の跡地に大資本のマンションや商業施設が雨後の筍のように建ちまくっている。

私の住む町の駅前も、古い駅ビルが潰れた跡地に、この町初の30階建てタワマンが建設中である。

まるでオセロの陣地が一気に裏返るみたいにぱたぱたと、町の風景がドラスティックに急速に変わってゆく。

一見立派で小ぎれいだが人間味も味気もない、お金があればなんでも買えるが、お金がなければ飲むことも座ることもできない、そんな強欲な大資本の施設に町がの至るところに侵食してゆく。

これがショック・ドクトリンでなくてなんであろうか。

 

そして今、またも閣議決定によって、マイナンバーカードの一元化が強引に進められている。

不具合やミスが続出する中、なぜそんなにも急ぐという拙速さで、国民の選択肢を保険証廃止という形で一方的に取り上げ、国民に非常に不利益な条件(政府は責任を取らないでよい、当人の許可を得ず個人情報を活用してよい)を何の了解も得ずにしれっと条文にもぐりこませて。

マイナンバーカードを巡る一連のことは、国民の個人情報を政府が勝手に売り物にし、この国の福祉の宝である国民皆保険を破壊の方向に進めるショック・ドクトリンに他ならない。

つまり私たちは目下、政府による詐欺被害に遭っているのだと言える。

 

不吉な事を言うようで心苦しいが、このことがさしたる抵抗もなくこのまま既成事実になっていったら、おそらく私たちが享受できる医療福祉のレベルは数年内に加速度的に劣化していくだろうと私は思っている。

海外の保険会社が舌なめずりをして待ち構えている姿が見える。

その先にあるのは大げさでなく、アメリカのような金が全ての医療。

今でさえみるみる保険料が上がり続け、医療費負担も増え続けている。

その上政府が高額療養費制度に手を付け、これをなくしたり変質させてしまったら。ジ・エンドだと思う。

この国の医療のセーフティネットの肝、人々が安心して暮らせる基盤が失われて、富裕層でない人は、大病をしたら満足な医療を受けられず死ぬしかない社会が現実になる。

そしてそれは、残念ながらかなりの確率で起こりうると私は思う。

だって、今の政府に対して構造的に私たちを守ってくれる実効的な歯止めが、ないとは言わないが、少なくともまともに機能していないし、閣議決定のように脱法的に何でもやったもの勝ちみたいなことになってしまっているからだ。

政治のガバナンスがもうめちゃくちゃだからだ。

 

加えてこの国が長く抱える構造的問題もある。

医療人類学者の磯野真穂さんが新聞寄稿で丸山眞男の言葉を紹介していた。

日本社会はその仕組みからして、真剣に現状の問い直しを行う機構が備わっておらず、物事が一旦(いったん)ある方向に動き始めると、基本的に行き着く先まで行ってしまうより他ない

その通りで、我々は、なんとあのばかげたアベノマスクさえ止められなかったのだ。

統一教会と癒着していた議員を誰一人罰することもできなかったし、説明の場に引っ張り出すことさえできなかった。

そして、あのカルト宗教は影響力を含めそのままに据え置かれることになった。

今この国では、(アメリカの意向という外圧以外には)一旦走り出したらあらゆることが止まらないし、誰も責任を取らないし、自浄作用の働く余地もなくなってしまっている。

そのことを何よりも怖いと感じる。

 

だから、マイナンバーカードは皆で一斉に自主返納すべきだと思う。(返納方法は画像参照)

 

マイナンバーはなくても何も困らないし、強引に勝手に国に押し付けられたものにすぎない。

何のコンセンサスの形成もなく、閣議決定を濫用して、理不尽すぎる。

右も左も富める者も貧しき者も関係なく、国民全員にとって不利益が多すぎる。

だから、皆が使用を拒むことで運用させない。

ほんとうに、そうしたほうが私たちのためだと思う。

 

 

話がマイナンバーに逸れたが。

今回の番組の意義は大きかったとは思う。

この国では「ショック・ドクトリン」という概念も言葉自体もまだまだ知られていないし、ともすれば陰謀論的に語られる状態ですらあったから。

曲がりなりにもNHKで「ショック・ドクトリン」が正面から取り上げられ、その具体的手口がわかりやすく紹介されたことは、画期的だったのではないかと思う。作り手の人たち、頑張った。

 

でも、願わくばもっと早くに紹介して欲しかったよ、と思う。

今ではもう、色々な面であまりにも手遅れになってしまった。

この国は、ここからどうやって巻き返せるものだろう。

グローバル企業にとっての「草刈場ニッポン」は、今国会でだいぶ食い尽くされた感がある。

 

 

それでも、一人ひとりが知ることで、この先自衛できることもあると思う。

あくまで他国のこと及び一般論という語り方ではあったが、直観的にこれは自分の国で起こっていることだと皆分かっている。

だからこそ、NHKのテキストも今ソールドアウトになっているし、堤未果さんの近著も増刷になっているのだと思う。

出来るだけ早く、このことが誰でも知っている基礎的知識として広まるといいと思う。

今の政府与党(もちろん維新、国民民主も)はもはや私たちの代表ではなく、安易に信じるのは危険な存在であることを知り、これ以上彼らにやりたい放題をさせないためにも。