連休最終日は、雨。
ソーダ・ストリームのガスボトルが空になったので、末っ子を放牧がてら、近所のイオンの中の電器店に買いに行く。
大規模な改装工事中で、ほとんどのお店が閉まっている中、小さな子を遊ばせるための場所が新たにオープンしていて、雨の休日ということもあり、賑わっている。
ボーネルンドのプレイスペース的な場所と、小さな子向けのゲーム機がたくさん並んでいる。
とてもうるさくて居心地が悪いけれど、末っ子は物珍しいらしく、あちこち練り歩き、プレイスペースでも30分ほど遊んだ。
帰り際、通路のちょうど子供の目線のところに、アンパンマンの車のおもちゃが景品で入っているUFOキャッチャーに目が止まり、せがまれる。
1回だけねー、ああ!おしい!あーあ、ざんねーん。
当然、さらにせがまれる。
苦笑しながら、じゃあもう1回だけだよ。え、これ本当に取れるやつなの?クレーンの力弱すぎない?あーあ、だめでしたー。
袖をひっぱり、もっともっととせがむ末っ子。
これはゲットしないことには収まらないね、と結局夫氏は、あと何回かトライしたものの、だめ。
これはもう、何千円使っても無理だから、あきらめよう。私たちは歩き出すも、末っ子はひっくり返り、手足をばたつかせ、汗と鼻水をだーだー出しながら大抗議している。
こういうものに触れたのが生まれて初めてなので、もうこの飢餓感をどうしていいか分からないみたいになって、あんまり見たことがないくらいの勢いで、面食らうほどの激しさだった。
帰りの車内でも怒り泣きが収まらず、靴を脱いで窓に投げつけてわあわあと泣く。
あちこちどつかれながら、クッキーをかじらせて、水を飲ませるとやっと20%くらいトーンダウンした。
ああ、おそろしい。こんなことになってしまうなら、今後あすこにはおいそれとは足を向けられない。
ていうか、報酬系によるドーパミンが制御不能に爆発しているのを目の当たりにして、呆気にとられた。
子供がわがままとかそういうことじゃなく、ああいう作りのものを、前頭前野が未発達の子供に与えてしまうと、そりゃドーパミンは大暴れしてしまう。
ちょっとだけなんて、そんなの無理な相談なのに、安易にかわいそうなことをしてしまったね、と二人反省しきりであった。
それにしても、あんなものを幼い子供の目に入る場所に置いておれば、散財する親は少なからずいるだろう。深く考えてはいないのかもしれないが、悪どいことだ。
そして、日頃ギャンブル的なものに触れないので、子供が見せてくれた極端な姿を通じて、報酬系がもたらす刹那的な興奮状態と執着心とは怖いものだなあと改めて思った。
不確実な報酬に対する期待(報酬系)の前には、簡単に人の自制心なんて反故にされてしまう。
そこにはドーパミンの放出による盲目的で飢餓的な興奮だけがある。
無心の集中、その後には虚しさだけが残る。
だからある種のゲームやギャンブルは怖いのだ。
帰宅して、アリ・アスターの「ヘレディタリー」を見ながら末っ子を抱っこしてあやしていたら、泣き疲れたのかあっさり寝てしまった。
怖くてずっと手がつけられなかった「ヘレディタリー」、見出すとやっぱり面白く、ぐんぐんと見てしまう。アリ・アスターはやはりすごい。おぞましくも静謐で美しい。
日常が平穏だとホラーってなかなか見る気になれないが、辛いことがあったり、心が傷ついている時は、私は無性にホラーが見たくなる。
現実が辛い時は、ホラーに憩うに限るです。