昨日で末っ子の慣らし保育が終わり、今日から新たなサイクルでの生活がいよいよ始まった!という気持ち。
夫氏と、「やっとここまで来たねえ!やあやあ、おつかれさん、おつかれさん」とねぎらい合う。
お互いに余裕がなくて、優しくなれない日々をどうにかこうにかここまでしのいできた。
最近になって、やっと落ち着いてきちんと話を聞けるようになってきた。
これまでは余裕がなさすぎて、疲れたり痛かったり眠すぎたりして、相手の話にすぐ心の中でツッコミを入れてしまったり、相手が欲しがっているリアクションを分かってても絶対あげたくないって頑なになったりしてしまって、険悪になることもしばしばだった。
しっかり相手の目を見て話を聞けるようになってきて、共感する考えも、違う考えも穏やかに受け止められるようになってくると、みるみる風向きが変わって、平和なムードになってきた。
私たちは日頃から話す方だから、良い対話ができてることは関係性の生命線。
毎回関係性が悪くなるたび思うことではあるが、そのことを今回も痛感した。
幼い子は本当に可愛くて、あまりの可愛さで日に何度もとろけるけど、やはりその存在の身体的・精神的負担の度合いはとても大きい。
世話をする夫婦の余力も、やりたいことをやる時間も自由もほぼなくなるのは、単に事実。
ありていに言って、子を持つということは夫婦の関係性にとって大きなリスクだ。
どのような形の不和があらわれるかは人それぞれだけれど、子育ての日々の中では、これまであんまり突き詰めずに済んでいた相手の最悪の部分をまともに見るし、これまでコントロールして隠せていた自分の最低の部分を晒すということが、数多く起こる。
子育てを境に、男女としての関係性の変容も避けがたく起こる。経済の問題や、(主に女性の)キャリアの断絶の問題などもある。
子育てにポジティブな面があることも事実だけれど、リスクのことを、事前にいくら重く受け止めても足りないくらいだとは思う。
しかし、とまれかくまれ。うちには縁あって子らがやってきて、そのたんび私らは破れかぶれで協力することを、三たび選んだ。
私たちはでこぼこしているし、お互い秘めた恨みつらみもあるけれど、でも20年も一緒にいる相手を、今も面白く可愛く感じている。
今日は子育て一合目をようやく登って中腹で一息ついてる気分だし、爽やかな風吹く素敵なお天気のせいもあると思うけど、自分の性質を考えると、この心持ちは感謝すべきことのように思える。
この先も悔いなくできる限りのことをし、やれるとこまでやっていく。