週末は二日とも雨。
よし、朝から近所の水族館へ行こう、と思い立つ。
小さい子をまた育てているので、本当に久々に水族館の年間パスを作った。
予想外の混雑は疲れたけれど、さくっと見て回って昼には戻り、昨日のビーフシチューをたらふく食べさせて、ご機嫌で眠らせることができた。
計画的に行動することが苦手な自分は、いつも末っ子のお尻を追っかけて後手後手へろへろな日々。たまにかっちりプランを完遂できると、すごい勝った感がある。うー快感。
大の字で眠る末っ子を横目に、老夫婦もゆっくりランチを食べ、お茶してしばらくしたら娘氏が打ち合わせから帰ってきた。お土産の菓子パンをつまみながらおしゃべり延長。
こないだのブログでも触れたけれど、最近なんだか娘氏がひっぱりだこである。
いろんな人がいろんな理由で娘氏に「ちょっと手伝って欲しいんだけど」「一緒にやってくれませんか」「大した額は出せないけどバイトどう」と声をかけてくる。
写真の仕事もまだ始めて間もないのに、ギャラ付きのれっきとした仕事としての依頼も複数あったりして、一体どうしたことだろう。
人の出入りが活発な時ってこうして重なるものだよねえ、と夫婦して感心して眺めている。
ところで、ここ1週間で一番印象に残っている話は、「ジェーン・スーと堀井美香のOVER THE SUN」というポッドキャスト番組のEp.128(相手のことを考える、を、考える。)でのスーさんの「エネルギーの強い人」の話。
(スー)何度も言ってますが、エネルギーの塊みたいな我々はオワコンです。
じゃあ私たち何するかっていうと、エネルギーのない人を俎上にあげるという大きい仕事がありますから。
(堀井)トロ火、トロ火を出していくってことですね。
(スー)無理です、あたしたちの調整は無理です。ついてると思うなよ、トロ火機能。
〈中略〉
(スー)まじで、エネルギー量のある人の時代は終わり。あたしはスーパーオワコン。ほんとそれは自覚してる。
この番組の会話って、一見すっごい陽気なおばちゃんトーク、もちろんそうでもあるんだけど、ふとした折に本質的な話にぐーっと入っていくところがとても刺激的で楽しい。
エネルギーの塊みたいな人がしんどいってほんとそう。
でも、今の世の中で公の人として目立った活躍をしている人たちを見ると、かなりの割合で多動でマルチタスクであんまり寝なくても平気、みたいなちょっと過剰な感じの人たちである。
能力や成功や努力を、こういう人たちを基準に語るっておかしいでしょ、と前々から思ってはいたが、それでも皆、競争に駆り立てられ、そういうゲームの中で世の中が動いていた感はすごくあった。
でもここ数年、いやそもそもそんなモーレツスーパーマンを目指したいか?いや、別にいらんし。
ああいう生き方って強欲すぎない?所有するよりはシェアしあって、軽やかに幸せに生きたいっていう気分に、多くの人の意識がどんどんシフトしてきているように感じる。
昭和の成長期と違って格差が広がり固定化され、地球環境は目に見えて壊れ疲弊している。
「社会はだんだん豊かに、物事は良くなっていく」「馬車馬みたくがむしゃらに頑張れば、成功やお金は後からついてくる」って世の中ではもはやなくなってしまった上に、坂道を転がるように国が貧しくなり続けていることで、社会に対する楽観も目減りし、無理ゲーを自己責任で押し付けられていることを多くの人が自覚しだしたこともあるように思う。
こういった状況に加えてSNSの広がりで、様々なジャンルの当事者、弱者の声が広く聞かれるようになって多様性の認識が急速にアップデートされている昨今、これからはもっと配慮的な世の中になっていくと思う。それはとても良いこと。
ガサツで強くて声の大きい人は、これまでは社会がそういう人をもてはやし、調子を合わせてくれていたが、これからはどんどん通用しなくなっていく。いるだけで加害性を帯びる可能性を持つ存在だという自覚が求められるようになるだろう。
パワハラもセクハラもモラハラも、なくなりはしないがどんどん肩身が狭くなっていく。
それによって良くなることも、新たな問題も起こってくるだろうが、変わっていくことだけは確かなこと。
で、このエネルギーの話は、娘氏の今の状況にも繋がっている話だなあと感じていて。
彼女がすでに何かを成したわけでもないのに、いろんな人が何かの折に娘氏のことを思い出し、頼みごとや話を持ちかけてくるのは、実績や能力とはもちろん関係がない。大して人柄を知ってのことでもない。
きっと彼女が今、発している若いエネルギーを、周囲の人たちは感知していて、なんとはなしに引き寄せられてる、そんな無意識的な動きが起こってるのではなかろうかと思う。
案外人気ポイントは、元引きこもりなのでエネルギー低めで年の割に落ち着いてるところなのかも、と思う。
スーさんの言う通り、あんまり元気だと、エネルギー量が低い大人には存在の圧が強すぎてくたびれてしまうので。
そして今の若者たちは皆もかれも忙し過ぎる。
娘氏のように暇そうな、何か頼まれごとを受けられる余地のありそうな若い子って、周りを見渡してみてもそうそういない。
そんな訳で娘氏が重宝がられているのかもしれない。
スピリチュアル的なことには疎いが、人って案外そういうエネルギー的なものを察知して、人と近づきたく思ったり、疎ましく感じたりという、直感的な判断をしているようにも思う。
そういう意味で人って良くも悪くもめっちゃ正直というか。
芸能人が急にわーっとブレイクしたり、「旬を過ぎた」みたいに言われたりするようなことにも近い感じ。
とりわけ若い人においては、エネルギーは本人のコントロール外の現象だったりする。だから人が寄ってくるということは良し悪しあって、別に一概に良いこととも言えないと思う。
他人の勝手な思惑でどうにでも変わってしまうようなことではある。
人の出入りが全然ない状態というのは、他人からすると「エネルギー的に与えてもらえるものがない」という肌感覚を持たれているということなのかも、しれないが、それはそれでしかなく、やっぱり人にとって大事なのは、景気ベースの関係性ではなく、信頼と愛情と長い年月を伴う地道な間柄だと思う。
取り返しのつかない失敗や、ままならない別ればっかりの人生って気もするが、年取るごとにそう思う。
今日もいたって静か。末っ子が眠っている間にこりこりと文章を綴る。
こまめに油を差して錆びつかぬように体調と気分を温存し、数少ないレギュラーメンバーと和やかに関わることを大事に地味な日々を繰り返す。
娘氏の、側でくるくるといろんな話が降ってきては軽やかに展開していくさまを、眩しいような、ああ自分もそうだったと懐かしく思い出すようなにっこりとした気持ちで見ている。
あの頃は、特にありがたいこととも思わず、それが当たり前のように思っていたものだったな。きっとあの子もそうであろう。
ともあれ、自分もはた迷惑にはならぬよう、できるだけ悪い気を出さず、良いエネルギーを出して生きていきたいものと思う。