2022年アメリカ/原題:The Whale/監督:ダーレン・アロノフスキー/117分/2023年4月7日〜日本公開
私にとってのダーレン・アロノフスキー作品の醍醐味は、やはりクライマックスの異常なまでの高まり、全てをなぎ倒すほど圧倒的なカタルシスの感覚だと思う。
彼の映画を見た後の「何かものすごいものを見てしまった・・・」という言葉を失うような呆然感は、なかなか他では味わえない。
ただ、「ブラックスワン」や「レスラー」はオールタイムベストに挙がるほど好きな反面、前作の「マザー!」がとても苦手だったので(しかし記憶には残る)、今回は少し二の足を踏んだけど、見て良かった!
再び「レスラー」のような、人間のどうしようもなさと偉大さにがーんと打ちのめされるような作品だった。
人間の醜さやこの世界の暴力性をありていに描きながらも、痺れ、悶えるような人間讃歌になっている。
ほぼ全編が、外の日差しを遮った薄暗い部屋の中で展開する。
見えにくいほど暗い部屋、画質も荒い。
画格が通常と違って正方形に近い。そのことで、272キロの巨体の男チャーリーの姿が、より画面を圧迫するような息苦しい存在に感じられる。
グロテスクなまでに太ってしまった肢体と、自らを死に追い込むように暗がりで食べ物を貪る誇張された咀嚼音は、軽い吐き気をもよおすほどだ。
でも、見終わった後に自分の心に残ったものは、外見への拒否感ではなくて、チャーリーの控えめな優しさ、ままならなかった人生への後悔、深い傷つきや怯えといった、とても繊細な感情だった。
人間離れした肢体に最後まで宿っていたものは、誰よりも人間らしい思いやりと柔らかさと人としての誠実さだった。
繊細に色々なことに気付き、他者からぶつけられるネガティブな感情に耐え、自分の愛に正直であろうとするささやかな願いを全否定されて、それでも優しい人々は、自らを責め、自分自身をを緩慢な死に追い込んでいく。
むしろ、こんな暴力的な世界を平然と渡っていける人の方が、どこかおかしいのかもしれないと思えてくる。
「あなたを救いたい」と文字通りチャーリーの家に土足で踏み込むカルト宗教の若い宣教師。
自分と母を捨てて男性にはしり、さらに醜く太った姿に変貌した父を蔑み憎む娘。
独りよがりな正義感に基づいた暴力性や露悪的な自己中心性をチャーリーに一方的にぶっつけてくる彼らが若者であることは意図的なことだと思うし、結局逆に彼らがチャーリーに癒されていくという、そこがアロノフスキーがラース・フォン・トリアーとは違うところだと思う。
人間の醜さや浅はかさは確かにある。
うんざりするほど世界にそれらは溢れている。
けれどそれらの多くは無知や経験の少なさや視野の狭さから来る。
そして人は皆傷つきもがいている。
人間に対する温かな相互性のようなものがアロノフスキーの根本にはあるのだと思う。
人間存在を冷たく突き放すようなトリアーやキューブリックとは違う。
その証拠に、彼に最期まで寄り添う看護師のリズ、元妻メアリーとチャーリーの、複雑な感情の入り混じった関わりは、素晴らしい深みと優しさを持っていた。
人間は捨てたものではないという温かな感覚に満たされた。
ホン・チャウ、サマンサ・モートン、とても素晴らしかった。
そして何よりブレンダン・フレイザー。
「レスラー」のミッキー・ローク同様、彼が演じることが映画にとってとても重要だった。
彼は見事に大役を果たしたと思う。
人は人を救うことはできない。
でも、人はいつだって人を救いたいと思っている。
人間は素晴らしいじゃないか。
評価も学位もどうだっていい。
正直であれ。