みずうみ2023

暮らしの中で出会った言葉や考えの記録

「わたし」をやめない

火曜日から続いた末っ子の高熱は、昨日からようやく平熱になり、明日は久々に登園できそう。今回も、長かったなあ。はああー深いため息。

 

自分の場合、子供が病気になって一日中子どもシフトになっても、もちろん余白がゼロということではなく、隙間時間に本を読んだり動画を見たりもするし家事もやる。

でも(今みたいに熟睡しててくれないかぎり)基本的に「ものを考える」ということがまるでできなくなる。

誰かとメールのやり取りをすることなども、すごく難しくなって、溜め込みがちになる。

「わたし」という個人がひゅっと消えてなくなってしまって、おかあさんと奥さんという役割のみになるという感じ。

1、2日ならどってことないのだが、それ以上長引くと、寝不足も相まってボディブロー的にだんだん心がやられてくる。

 

世の人々が皆わたしのような不器用ではないとは思うけど、個と役割の切り替えは誰にとってもそれなりに難しいのじゃなかろうか。

実際、今の日本で、家族をもっており基本家の中にいる女性が「ただのわたしであること」をやめないでいることは簡単ではない。

しっかりと死守するという心づもりがないと「ただのわたし」はいつの間にか輪郭がぼやけて、やがて見失ってしまう。気がついたら役割に自分をすっかり明け渡してしまっているようなこともある。

無我夢中に子育てすることも、もちろん素晴らしい。

でもそれで子育てや介護がひと段落着いた時、あれ自分ていったいなんなんだろう、自分にできることなんて何もないみたいに思ってしまうのは、すごくやるせないことだ。

いっときぐらぐらしても、実際何もないなんてことはないのだから、遅かれ早かれその人なりに復活してくのだとは思うけれど。

 

それでも、アラフィフの自分にとって、残りの人生の短さを思うと、上の子の時よりも、もうちょっと切り替え能力を上げていきたいなーと思う今日この頃。

幼児がいながらも、自分自身が打ち込みたいこと、考えたいことを、諦めずに楽しくやっていきたい。

むしろ幼児がいるからこそ、より豊かな思索や今の大事さを感じながら毎日を過ごせたらいいなと思う。

誰かのケアを担いながらも、自分のアートをいきいきと生きる人生を送っている身近なお手本たちの存在がとてもありがたい。

彼らにとってのケアが、不本意な雪かき仕事だけではなく、むしろその人の人生に深みを与えてくれるものになっていることにも希望と尊敬を感じる。

 

てなわけで、明日はスローに過ごそうと思います・・・。