みずうみ2023

暮らしの中で出会った言葉や考えの記録

病み上がり

朝ごみ捨てに行ったら、目の前には雲ひとつない青空、爽やかな風が体を吹き抜けて、思わず笑顔になる。

私は、病み上がり。

だから余計に世界がカラフルに見える。

 

数日前、給湯器が突然、何の前触れもなく壊れて水しか出なくなった。

真冬でなくて良かったけれど、まだまだお風呂に入れないのは困るシーズン。

銭湯がわりに3歳の子連れで行かれる滅多に行かない市内のスーパー銭湯に行ったところ、食堂のご飯(スンドゥブチゲラーメン)を食べた後から、だんだんお腹の調子がおかしくなってきた。

食堂に入った時から、ちょっと変な雰囲気だと感じていたし、出てくる食べものも、なんかやだな・・・とはっきり違和感を覚えながらも、幼児がいるので、ここでさくっと食べて、あとは帰って寝るだけにしたいという思いで、悪い予感を振り切るみたいにしてもぐもぐ食べた。たまにはワル飯もいいもんだ、と言い聞かせ。

やっぱりこういう小さい直感って間違わないのだよなあ。

直感を無視したら、大抵しっぺ返しが来るのだ。

目先の損得や都合をつい優先して、間違ったことを安易にしてしまわないようにしないといけないなと思う。

全回避はできなくとも、致命傷を受けぬよう、その状況の中で自分なりに受け取らず、逸らす工夫はできるはず。

 

元々胃痛持ちだから、最初は特に食事と関連づけては考えず、季節の変わり目で弱っているせいかなーと言いながら、しくしく痛む腹痛に耐えていたんだけど、一昨日の夜から文字通りのたうち回るほどの痛みに。

夜中に泡だらけの胃液を吐いて、下して、おお、これはいつもの胃痛じゃない、おそらく食中毒だと悟る。

 

昨日は、このところのこんぐらがった自分を引き上げてくれるはずだった楽しみにしていた予定をキャンセルして、ひたすら脂汗をかきながらベッドでうんうん唸っていた。

午後何とか起き上がれるようになったので、病院に連れて行こうかと夫氏に言われたものの、自分の体の声をしばしじいっと聴いて、病院よりも温泉に行った方がいいと判断した。

で、末っ子のことは夫氏にお願いして、よろよろと荷物をまとめて、車で近所の日帰り天然温泉(もちろん先日とは別の施設!)へ。

 

まだよれよれしていたんだけれど、汗でべたついた全身をごしごし清潔にして、とろりとした天然温泉に浸かって、ふはーとため息をつく。

暑くなったのでちょっと水風呂にも入って、次は炭酸泉に入ってみようかな、と、体が求めるように無心に温泉をひとり楽しんでいたら、気付いたらお腹の痛みは消えていた。

うし、今回は間違わなかった、と心の中で小さくガッツポーズであった。

身体が教えてくれる直感、大事にしてこう。

 

家に帰ったら、末っ子はすでに夕飯を食べ終わってご機嫌で車のおもちゃで遊んでいて、ダイニングテーブルに座ったら、夫氏が作ってくれたトマト雑炊がさっと出てきた。

病気になったらかなりの精度でケアしてくれる夫氏である。

彼は、母親が生涯病人だったから、病人の世話の勘どころがよく分かっている。

彼のケアは、余計なこともしないし、足りないこともない。

さっと病気シフトに気持ちを切り替えて、やるべきことを粛々とやる。

 

私が、病気にならないとなかなか堂々と休めないタチなんだけれど、たまには主婦をしっかり休む、月に1日でも、全部お休みするってことができればいいのになあと思う。

私が日常の暮らしの中でやっている細々とした名も無い家事は、透明化する、どうしてもゼロカウントされがちである。同じ家にずっといて、これほど理解されてないのか、と思うことがある。それは、お互い様なんだろうけれど。

だから分かってもらうには、実際に彼にやってもらうのが多分一番早いのだ。

ありがとうなんて改めて言われたりしないけど、多分そういうこともあって、トマト雑炊は少し優しい味がした。

 

このところ、またいくつかのトラブルや厄災が降りかかって来てめげていたが、病気が厄払いになったみたいな、雨上がりみたいな気持ち。

さて、今日も一日がんばるぞー。