先週後半から末っ子がまたも病気していた。今回は感染症でなく夏風邪っぽい。
熱はなく食欲もあるが、寝起きにひどく咳き込み、目やにが出る。
三連休も基本病気対応だったけれど、合間に外で遊ばせたり、近所でやってたマルシェを見物したり過ごす。
身動きが取れない分、夜中に起こされる分、読書が進むのは楽しいこと。家のどこにでも本を持って移動して、こま切れでどんどん読み進んでいる。
末っ子は、病気でも親よりよほど元気で多動である。
やいやいと遊んでいるさまを眺めていると、これのどこが病気なのーと苦笑いしてしまう。
生命力と病気は普通連動するものと思うけれど、子供の場合はひとつの体の中でばらばらに駆動している感じがある。というか、生きようとする力が留保なく強いのだろうと思う。
とはいえ、自分でセーブするということができないから、気付かず無理をしていて、さっきまで元気だったのに急にがくんと悪くなって慌てたりする。油断はできない。
ああ、目の前のことにぐっと集中して対応しているうちに、7月もどんどん過ぎていくなあ。
午前中、久々にジムで汗を流してさっぱりして帰宅したら、夫氏と娘氏が昼は外食したいと言う。私が作るものは適当な麺類ばっかりだから飽き飽きしているのだ。
前から行ってみたかったラチエン通り沿いの台湾料理屋「わたしの好物」にさっと電話で予約を取って向かう。うちから10分ほどの距離。
私は蛋餅(ダンピン)の定食にした。大きめのボウルに入った鹹豆漿(シェントウジャン)と、野菜の小さなおかず3品、デザートにミニサイズの豆花(トウファ)がついている。夫氏は魯肉飯(ルーローファン)定食、娘氏は雞肉飯 (ジーローファン)定食。皆で水餃子もシェアした。
丁寧に作られたものをいただくと、体が嬉しがっているのが分かる。旬の野菜が使われていて、うま味調味料の味でインスタントに美味しさを作ろうとしていない。
ランチタイムの忙しい中、何度でも温かいプアール茶を継ぎ足しに来てくれた。
最近の物価高で、外食が以前ほど気軽でなくなってしまっているんだけど、こういうご飯やさんで、人の作ったものをありがたくいただくと、生命力を注入してもらえる感覚がある。
(写真を撮り忘れて後悔)
5月に実家から暗い気持ちを抱えたまま戻ってきた直後に、一中通り沿いの「いただきます食堂」でシンガポールラクサと発酵ジュースをいただいた時は、目の前がぱーっと明るくなって気持ちがだいぶ立ち直った感あった。
店内には自由で気安い空気、アジアのスパイスの匂いが横溢している。開放的で程よく雑な内装も好ましく、雑駁だけど好きでないものは一つも置いてないという空間だった。
バックパッカーでいろんな国をうろうろしていた頃を懐かしく思い出して笑顔でもりもり食べた。
途中、破れたTシャツを着た店主さんが「素敵な会話してますねー!」と入ってきて、実家であんだけ噛み合わない時間を過ごしてしょんぼりいたところにきて、自分のままで受け入れられた感じもすごくあって、いろんな意味で癒された。
他にも先週行ったインドネシア料理、友達と食べたTEXMEXのバーガー、お気に入りのファラフェルやそば粉のクレープ屋やラーメン、イタリアンにピザなど、素晴らしい各国料理の個人店が自転車圏内にたくさん。
この町に住みたくていろんなところから移住してきた人たちが思いを持ってやっているお店が多い。
長年住んでいるといろいろ不満もあるものの、パン屋と外食のレベルの高さ、豊富さにかけてはまじで素晴らしいと思う。
(あと道が平らで自転車でどこまでも行けるところと、平日の日中でも働いていない男性やサーファーがいっぱうろうろしているところが好き。)
しばらく前から、都内や大きな商業施設の中では、不味くも美味しくもなく、払えないことはないが微妙に高すぎる感じのご飯やさんしかないな、と感じる。
なんか腑に落ちない気持ちが残る、そういうものはあんまり食べたくないなあと思う。
コロナ禍以降、個人店を維持していくのは楽じゃないだろうが、なくなると暮らしのクオリティーが一段下がる。かなり困る。応援していこう。
もっと写真も撮ろうっと。