50万人以上の声を無視して強行したインボイスって、本当に今日から始まったんだろうか?
ニュースではろくに報じられてこなかったし、今日もただただ普通の日曜日で、まるで何も起こっていないみたいに静か。ひとつも実感が湧かない。
先日行った日帰り温泉のサウナにテレビがあって、夕方のニュース番組が流れていた。
トップニュースは、バイクと自転車泥棒。被害者のインタビュー音声を長々と流しつつ、微に入り細に入り報じた後、次のニュースは、交通ルール違反(右折禁止の道を曲がる)車を防犯カメラが捉えたというニュースであった。
それを、バスタオルを体に巻いた7、8人の女たちが、蒸し暑く薄暗い部屋の中で黙って眺めていた。
軽いめまい。
地上波テレビのニュースって、やはりずっとこんな感じなのか。
どうでもいい身の回りの小悪党ばかりを吊るし上げることで、社会の同調圧力と人々の萎縮効果を高めるような情報だけを、意図的に選択的に見せている。
単に下らないだけでなく、悪質なことだと思う。
こういうものを、毎日毎日、公共の電波に乗せて、世の中に投下し続けている。
社会の大事なことを何一つまともには報じないこの国のメディアは、陰謀論とかではなく、シンプルに異常な状況にあると思う。
昨年、2兆円で問題視されていた軍事費が、半年で5兆、あっという間に15兆になり、1年後には43兆円まで増額され、それは更なる増税をもって賄われることになっている。それがいつの間にか既成事実みたいに報じられる。
まじで狂っている。お金って何なん。どうしてそんなことが正当な手続きもなしに決めてしまえるの?と素朴に思うし、額的にもあまりに狂っているから、自分に関係のあることだという実感もうまく持てない。
個人的にすごくショックだったニュース。
以前「マイナンバー法案の『納期』を守れ」と言ったサントリーの新浪社長が、「もう国民皆保険はやめて、民間に委ねるべきだ」と発言した。
同じ人が同じ文脈の中でこういうことを堂々と言うということは、国民皆保険は次に外資にセールに出される目玉商品としてロックオンされているということであり、マイナ保険証はやはり国民皆保険を壊すための手段として明確に意図されていたということ。
もちろんどこかで分かってはいたけれど、私はそれを信じたくなくて、目を逸らしていた。
いつまで国民皆保険がまともに機能するだろう。10年は持たないような気がする。
今残された日本の制度で、最も値打ちあるものの一つである国民皆保険が、ついに食い物にされてしまうのか。
これで更に憲法が改正されたら、310万人の犠牲を払って手に入れた、戦後民主主義の恩恵の根幹の部分が無に帰すことになる。
でも多分、国民皆保険が廃止されていく過程も、来年予定されているらしい憲法改正も、他のニュース同様、ほとんど報じられないままに、いつの間にか変わってしまっている、ということになるんだろう。
メディアは、全てが取り返しがつかなくなったタイミングになってから、既成事実として報じだすだろう。
システムの変更というものは、急に一斉に目に見える変化があるということではないから、つつがない日常が明日も続くように思える。
よく分からないし、知らないし、差し当たって自分には関係ないから大丈夫かと思ってやり過ごしていたら、いつかどこかのタイミングで突然当事者になる。
その時にべもない対応をされて、びっくりして憤慨しても、「みなさんすでにそうされてますから」とクールに言われるだけだし、周りを見回して見ても、皆気の毒そうにはしてくれても、仕方がないね、何とか自力で頑張って。って言われる。
そういうことの積み重ねの先に、社会の片隅で、人知れず人が死んでいく。
今起こっている変化とは、そういう種類のことだと思う。
自由はある日突然なくなるものではない。それは目立たない形で徐々に蝕まれ、気がついたときにはすべてが失われている。(宮澤喜一「新・護憲宣言」より引用)
大げさな、悲観的妄想であってくれたらなあと思う。
もちろん、希望を捨てていないし、心から何とかなって欲しいから、自分のできることを考え、子供達に伝え、せめて立ち上がってくれた人を一人にしないようにしっかり応援していくと決めている。
今日も何事もなく生きられていることに感謝し、幼子の日々の成長を喜びながら、だからこそ、やるせなさに胸が塞がれてしまう。