みずうみ2023

暮らしの中で出会った言葉や考えの記録

「BEEF 〜逆上〜」

Poster Acharnés - Saison 1 - Affiche 2 sur 3 - AlloCiné

2023年アメリカ/原題:BEEF/監督:ジェイク・シュライアー、HIKARI、イ・サンジン/10エピソード 各話約34分/2023年4月6日〜Netflixにて配信

 

「パラサイト」「エブエブ」を経て、今ではもう、いぜんのようなアジア人のステレオタイプな描写からは完全に脱却した感。

A24の製作だけあって、終始攻めてるし、細部に至るまで隙のないスタイリッシュさはさすがなんだけど、今ひとつのめり込めないままちんたら流し見していたのだが、急転直下の9話と続く最終話の10話のケタ違いの内容に、一気に背筋が伸びた。

作り手は、この「最後のシチュエーション」こそをどうしてもやりたくてここまで物語を作り込んできたんだなと思った。最終話までの長大な前振り。

 

最後のシチュエーションとは、あえて言うなれば「互いに異なる社会的背景を背負った不完全で複雑な者同士が、あらゆる先入観から解放されて、何の属性もないただの人同士として、対等に無防備に語り合う状況」のことだ。

生ぬるいヒューマニズムのそれっぽいことでも、一期一会の関係でもない。

「資本主義の極まったこの厳しい世界の中で、異なる者が同じ社会でなんとか『違いを乗り越えて』共存していく道はあるのか?」という、大テーマにこのドラマは挑んでいる。

全部の拠り所やアイデンティティを剥ぎ取った状態の、むき出しのただのその人同士として、同情と愛をもって対話をすることさえできたなら。

しかし、現代社会でそんな状況なんてどうすれば生まれ得るんだろう?

だから、一つのサンプルとして、究極の状況をドラマでこしらえてみせた。

作り手のそういう意図を感じた。

 

「それ」が叶った時、霧が晴れるみたいにして突然ダニーとエイミーの眼前に現れたものは、あまりにシンプルな事実だった。

つまり、世界の全部が自分の鏡なんだということ。

目の前にいる相手はそこまで憎むべき存在なんかではなかった。それは結局、幻のようなものだった。

住む世界は真逆のようでも、彼らは互いに無理をして取り繕い、頑張り過ぎ、不安に苛まれ、余裕をなくし、いつの間にか狂気の域に足を踏み入れるほどに世界に対する怒りを抱えておかしくなっていた。なのに互いにそのことにあまりに無自覚であった。

なぜなら彼らは共にこの世界にあまりに深く絶望していたからだし、そして自分を徹底してネグレクトして生きてきたからだ。

この理不尽な世界に対する深い怒りを内面化して、彼らは留保なく憎み、叩きのめせる存在を求め、度を越した憎しみや怒りをその相手にぶっつけていた。

そうすることは結局、さらに自分を罰し、痛めつけることにしかならなかったのに。

 

その事実に向き合うことは、彼らにとっては全身の力が抜けるような、愕然とすることだった。一体なんだったんだ。瀕死の状態で彼らは呆然と顔を見合わせることになった。

死ぬ間際になって、ようやくこんなくだらないことに血道を上げていたことに気付くなんて。人間とは、なんと愚かで短絡的な生き物なのか。

しかし私は彼らを笑えない。

むしろ彼らの対立が、この世界の縮図のように感じる。

 

今私たちが何を自覚し、何から身を守らなくてならないのかをこの物語は示してくれている。

おい、みんなしっかりしろ、真に受けんな、騙されんな、なんとか人間であり続けろと。

今の世界は、人を正気でなくさせるような要素に満ちているから、ともすると足をすくわれてしまう。

金と権力を持つ者がてんで勝手にルール設定をする。

どんな分野でも、自分の居場所を確保するためには、厳しい競争や査定にさらされる。

「お前はどれほどのものか」「お前にそれを語る資格があるのか」「本当にこれ以上無理というくらい精一杯努力をしたのか」と問われる世界。

お金やメンタルヘルスの不安は、どこまでいってもなくならない。

家族や人間関係の軋轢、時代の呪い、そういうものが渾然一体となった中で、誰もがやみくもに頑張っている。

それでもなかなか報われない、満たされない、苦しい。

当然だ。

苛烈なコンペティションの世界は、” Winner takes all ”で、一握りの勝者が総取りし、圧倒的多数の搾取される者としての敗者を生むという原理で回っているのだから。

「お前の代わりなんていくらでもいる」「気に入らないなら出て行け」と言われる世界。

 

なんとかこの社会に適応し、少しでも良い地位を得ようとするために、必死にサバイバルする中で、時間や、心の余裕や、その人にとっての大事なものが犠牲にされてゆく。

多くの人が自分を低く見積もって、自分の願いや思いを無視して、自分をネグレクトして生きている。

そういう生き方が、自分を鼓舞し、さらなる高みを目指す向上心ある生き方なのだと勘違いされている。

こんなにも必死で頑張っていても、達成感や自信に安住することはなく、劣等感や罪悪感からは逃れられない。

そんな世界に傷つけられ、言葉にならない深い怒りを内面に抱えている人が、どれほど多いことだろう。

 

 

そういうこの世界の姿が、ダニーとエイミーにクリアに突きつけられた時の、愕然、虚しさ。

それと同時に湧き上がった自分と相手に対する憐れみの感情。

血とゲロにまみれた究極の状況の中で生まれた、この破れかぶれ感満載の変遷は、全くしまらないことではあるが、確かに人間の一つの希望なのかもしれないなあ。

 

出会い頭から常に怒鳴りあい、憎しみ合ってきた二人の男女が、恋愛でなく、相手に対するいたわりの愛に包まれて、物語は幕を閉じた。

全く予想外のことだったが、とても好きなラストだった。