2022年日本フランス合作/監督:川和田恵真/114分
今回の入管法の改悪が強引に進められる過程の中でこの美しい映画を見た。
サーリャというクルド人少女の暮らしを通して、日本が難民に対してどういう考え方を持ち、どのように対処しているのか、入管がどういう施設で、どういう論理で運営されているのかの一端がリアルに浮き彫りになっている。
なんの正論もかざさず、説教くささもなく、彼らの暮らしに静かに寄り添って描く中で、いくつもの気付きがあり、胸が痛むようないたたまれない思いに何度も駆られた。これが長編一作目という監督の手腕は見事だと思う。
作品のテーマはもとより、是枝裕和監督の助監督だったということも手伝って「誰も知らない」の別バージョンを見ているような感覚もあった。
「普通」に暮らしている私たち日本人のすぐ隣で、こういう理不尽な形でどんどん追い込まれていく難民の方たちがいる。
すぐ隣で言葉を交わしていても、彼らの苦境はほとんど周囲の人たちに理解されていない。
なぜなら彼らの存在は、国としては「ないこと」にされているからだ。
この国は、難民申請をした99%以上の人たちが「あなたを難民と認めない、国に帰れ」と言われる国である。
存在自体がほぼ認められていないので、当然彼らの受け皿もこの国にはほぼ存在しない。
彼らは、人権の外にある存在であり、ひっそりと紛れ込むように、出来るだけ目立たぬよう、耳目を集めぬように暮らしている。
この映画を見た人の多くは、サーリャたちクルドの人々のありようの、一体どこがアウトローなのか全く分からないと感じるだろう。
ただ地味に慎ましく暮らしているだけの人たちだから。
彼らは明らかな難民であるのに、入管が勝手に「あなたを難民と認めない」と決めつけ、移動や労働を禁じるという非現実的なペナルティを一方的に与えておきながら、「人間は働いてお金を得ないことには食べていけない」という当たり前の問題について何のサポートもせず、知ったことではないと放置しているだけ。
この国では、難民はただ存在すること自体を咎められ、罰せられる。
国連の難民条約は定めている。
難民を彼らの生命や自由が脅威にさらされるおそれのある国へ強制追放したり、帰還させてはいけない。そして難民が不法にいることを理由として罰してはいけない。
その国際的な約束事を反故にして、99%以上を問答無用に排除し、暴力を含む犯罪者のような扱いをしているこの国の入国管理局こそが犯罪組織だと思う。
昨日の参院委で強行採決の予定だった入管法は、問責決議案の提出により「一旦」見送りになっている。
入管法は、最終局面である参議院での審議に入ってから、次々と信じがたい事実が明るみになっている。
そして、一昨日の有志議員意見交換会では、入館職員が外国人の難民不認定者に暴力を振るう目を覆いたくなるような映像が公開された。(視聴注意)
非常に残酷な、信じがたい映像。
一人を大人数で押さえつけ、難民不認定になった男性が泣いて懇願しても、半笑いで痛め続ける入管職員。
この映像を見た誰もが連想するだろうが、ジョージ・フロイド氏が警官たちによって殺害された状況と酷似している。
暴行する入管職員たちの顔にはフィルターがかかっていて、彼らの人権だけはしっかり守られていることに深い怒りを感じる。
フロイド氏を殺した警官は法廷で裁かれて、実刑22年半の判決を受けた。
この入管職員も、そうなってしかるべき人々だと思うが、2022年12月の東京地裁の判決によると、この入管職員たちの暴行動画が証拠として提出されているにも関わらず、「違法性は認められない」と判断されたという。(高裁に控訴中)
これが拷問と認められないなら、国家権力は何をやっても正当な職務の範囲内ということになるだろう。
入管法の立法事実自体が、偏り、ずさん、捏造などを根拠としためちゃくちゃなものであることもどんどん明らかになっている。
どれだけ道理の通らないことでも、多くの人が反対の声を上げていても、無視して権力の力で押し通す。
今の政府は、悪い成功体験を一度作るごとに、以降は確実にその悪癖に乗じるようになっている。
そのたびにこの国の民主主義はどんどん後退していっている。
今回の入管法に対する怒りは大きく、連日国会前や全国各地で何千人もの人たちが抗議の声を上げている。メディアはほとんど報じない。
娘氏が「今日バイト休みだからちょっと国会前行ってくるー」と言うので、交通費を支給しておいた。
何とか廃案になってほしい。祈る気持ち。