みずうみ2023

暮らしの中で出会った言葉や考えの記録

実家と私

久しぶりに関西の実家に母子3人で帰省していた。

前回の帰省から、近所のホテルに部屋を取って、寝泊りはそちらでするようになって随分と気楽である。もっと早くにそうすれば良かった。

 

今回の帰省で一番印象深かったのは、16歳の娘氏と実家の人々との関わりだった。

娘氏を見ながら、高校卒業後ダッシュで逃げ出すみたいに実家を後にした頃の自分を久々に思い返した。

てらいなく普段の家でのように話している娘氏に対する、実家の人々の気まずそうだったり、顔見合わせて苦笑いだったり、諭したりしているさま。

ああそうそう、私の子供時代もこういう感じだったよなあ。

このなんとも言えない言葉を受け取ってもらえてない感じ。

同じ日本語を喋っているのにどうしてか言葉が通じない感じ。

 

私は、彼らは思考することを嫌うのかなと思っていた。

どんな話であれ、単なる感想の先の話に踏み込んだ途端、拒否反応を示されるように感じていたから。

それ以上は考えたくない、これでええねん。

だから、みんな考えるのが嫌いなのかなって。

 

でも人間である以上、何も考えない人などいないのであって、私と彼らとは単に「考えが相容れない」「考えたい対象が違う」ということなんだと思う。

つまり、誰かと言葉が通じないのは、その相手とは大事にしているものが全然違うということなんだと思う。

 

で。

こう書いてしまうと身も蓋もないのだが、私は基本、本質的なことにしか興味が持てない。

ルールや前提を疑ったり、あれとそれを結びつけたりしながら、納得いくまで掘るように本質的なことを日頃から考えているたちである。

夫と娘氏も同類である。だから私たち家族の会話は、しょっちゅう雑談からすっと本質的な話にスライドしていく。

毎日がちょっとした哲学対話みたいな。

改めて考えると、周囲の親しい人たちも本質的な話に違和感のない人たちだったり、精神的なことを大事にする人たちが多い。

 

それが今の私の日常であり、別段意識していたわけではなかったけれど、私は長い時間をかけてこつこつと生きやすい環境を自分なりに作ってきたのだなあと思う。

私にとって、本質的な話ができる人たちと共にあることは、できるだけ幸福な気持ちで生きていくためには切実に必要なことだったと改めて気付かされる。

 

実家の人々は、もっと実際的で、地に足の着いた人たちである。

本質的な話なんて、そんな抽象的なことを考えても何の役にも立たへん。

社会のことなんて、そんな自分のコントロール外の問題について考えても考えるだけ損や。見たないし知りたないわ。

彼らが関心を向けるのはもっと目に見える実用的なことだ。

例えばお金のこととか受験や就活や冠婚葬祭といったライフイベントなどについては、私なんかよりずっときめ細やかに考えているし、詳しいし、気遣いも行き届いている。

 

周囲から「ちゃんとした人」と認められるようにあろうとすること。

人並みへの強いこだわりは、それこそが安定と幸せの道だと信じているからだろうし、同時にそこから外れることへの不安の強さゆえなのかなと思う。

これに加えて「余計なことは考えず、不平不満を言わず、額に汗して実直に生きることこそが尊い」という、祖父母世代から受け継がれた戦中世代の無欲・素朴を尊ぶ思想が絶妙にブレンドされてごっちゃになっている。

 

実家と私においては、私が大事にしているものは彼らにとってめんどくさく無駄なものだし、彼らが大事にしているものに私はあんまり価値を置いていないという根本的で残念な食い違いがある。

大人になるまでの私と実家(両親と家族、故祖父母、地域の学校、友人関係)との軋轢や傷つきやトラウマ、みっともないこじらせや、どうにも生きづらくてもがいていたこと。

それらは結局のところ、この齟齬に互いに向き合おうとしなかったことが引き起こしたと言えるのかもしれない。

 

書けば書くほど、齟齬の原因は個別違えど、よくある親子の話だと思う。

世の中に相性の悪い、相容れない親子なんていくらだってある。

ただ、本来「違う」は等価のはずで、他人同士なら距離を置くだけのことが、家族の場合は、往々にして親の正しさを子に問答無用に押し付けてしまう。

子供を独立した個人として口出しせずに見守ることは、言うが易しで本当に難しいことだ。

自分を省みても、親としての自分にできてるかって聞かれたら、すいませんとしか言いようがない。

親の立場から言えば些細なことだったり、余裕がなくて無理もなかったということになる。

でも、子供にとってみれば、日常的長期的に、本人にはいかんともしがたい気質や性質を親に否定されることは、時に人格形成に深刻な影響を及ぼすのだと思う。

 

誰しも不完全な存在でお互い様であり、基本はもう過ぎてしまったことだと思ってはいる。でも、ひとつ残念に思うことがある。

「私がただ私であることが人を不愉快にさせ怒らせる」「理由なく私は嫌われる人間である」と、随分長い間信じてきたこと。そしておそらくこの先も完全にその思いが消えることはないのだろうこと。

「違うだけだ」ということを、もっと早くに知りたかった。

自分が悪い、自分が間違っているって思っていた時間、つらいばっかりで無駄だった。

 

まあそれでも、そのおかげで私はひとつも後ろ髪引かれることなく生家を出て、あちこち好きなところを旅して、やがて言葉の通じる人や意気投合する人と出会い、何を尋ねても怒らずに答えてくれる人と家庭を作ってこの町に移り住み、そこそこ自分にとって快適な環境を手にすることができたのだとも言える。

 

実家の人々とも、別に憎み合っているわけではない。面白いいい人たちだし、笑い合えることもあるし、たくさん感謝もしている。

私がこれまで彼らをたくさん不快にさせただろうことを申し訳なく思う。

その上で開き直って思う。ま、おたがいさまだよね〜。

 

 

「ママはさ、おじーちゃんおばーちゃんにとったら、ルール破りの人なんだと思うよ。彼らが一所懸命守ってきたものを、ママは私にはあんま意味ないかな〜、ってあっさりスルーしてしまって、平気そうにしているかんじなんだと思う」と、娘氏が言う。

確かに、母は「それみたことか」といつもうずうず言いたそうにしている、笑。

だが実際のところ、彼らに「こうしないと後々大変な事になる」と言われて従わなかったことで困ったことって、特になかった。

それでもひとつ確かなことは、実家の人々は彼らなりに私たちに幸せになって欲しいと願っているということ。そこにあるのは、何はともあれ愛情だということ。

 

よくある家族の話だが、自分なりに一度きちんと書き出しておきたかった。

よくある話だからこそ、誰かの参考になる部分がちょっとはあるといいなと思う。