みずうみ2023

暮らしの中で出会った言葉や考えの記録

差し入れ準備中

ここ数日、ものを買い回っている。

急に夏が終わって秋になって、パリで暮らす息子氏に差し入れをしよう、と急に思い立つ。

本人に訊くと、ここぞとばかりにリクエストがあって、揃えるのがなかなか大変なことに。

ユニクロの超極暖ヒートテックなどの冬物衣料や、日本の調理料や、飯の友や梅干しや、日本の方がだいぶ安価な楽器のアクセサリー関連とか。

 

日頃の買い物は極力効率化して、決まった店で決まったものしか買わない暮らしなので、買い物ってとても疲れることなんだと思い出した。

ついあれもこれもと買い過ぎて、ダンボールが持ち上がらない重さになってしまった。なんとか減らして、ダンボールを2つ連結して送ろうと思う。

 

息子氏がフランスで暮らし始めてもうすぐ1年になる。

時々ちゃんと食べてるだろうかと、不在を心もとなく思う瞬間はあれど、今は3歳児の世話に追われているし、息子氏とは、近くにいると似た者同士ゆえのうまくいかなさがずっとあったので、離れている方が何かと平和だとも思う。

 

いろんな意味で、息子氏はうちから、日本から出て良かったな、やっぱり。

もちろん音楽という本来の目的が一番だが、息子氏は、この家族とも日本的な価値観ともあんまり反りが合わなかったと思う。

色々問題や苦労はあっても、きっと今、日本にいた頃よりずっと自由で快適だろうと思う。

 

外国暮らしは、息子氏を成長させてくれもした。

彼はフランスに行ったことを機に、ようやく人とまともな会話を交わせるようになったという感じがする。

それまではなんというか、基本片言ぽい喋りであった。

つっけんどんとか無愛想ということではなく。

彼は彼が偏愛するジャンルのこと以外では、基本会話を膨らませることができない。

しかし、高2の夏休みに一ヶ月間フランスで過ごして帰ってきた後、筋道立てて自分の意見を語るということが、なぜかできるようになっていた。

基本どこにいてもいつもひょうひょうと一人蚊帳の外みたいだった息子氏が、家族のメンバーの一員として、時々会話に参加するようになったことは、私としては望外のことだった。

 

言語化能力の低い16歳の少年が、突然外国に一人ほおり込まれたらどんだけ悲惨なことになるかと思いきや、むしろ幸運な変化が起こったみたいだ、彼の場合。

想像するに、互いに母国語でない英語でのコミュニケーションの中で、息子氏の語りのまどろっこしさもつたなさも、かえって日本よりも偏見少なく辛抱強く接してもらえていたのではなかろうか。

同質性の高いコミュニティー内部においてはちょっとした違和、奇異な印象を与える言動は、コミュニケーションの上で命取りだ。

殊に日本社会では、暗黙の了解や、場の空気を読めない、共感性が低い息子氏のような人はある意味において弱者である。

これまでの彼の人生では、怒られたり、からかわれたり、スルーされたり、否定されたりということは、ままあったと思う。私も加害者のひとりだったと申し訳なく思っている。

 

「同質性」について極めてセンシティブな日本のコミュニケーションでは、息子氏のような人は疎外されがちだし、自信を持ちにくいが、階級社会で差別もあっても、個人主義で多様な人が暮らすパリでは、「何が変で何が普通か」の基準がひとつではない。

そういう社会は、親切とか以前に、彼にとっては実に楽だろうなと思う。

受け身でもなんとかなる日本式の教育と違って、あなたはどう思うのか、どうしたいのかを常に問われることは、厳しさもあろうが、「自分の言うことはどうせまともに聞いてもらえない」という無力感よりはずっと精神衛生上良いだろう。

 

彼は子供の頃からふわっふわしていて、今も大して変わらないが、でも、一人で外国で生きてる。

ビザの更新の手続きとか、助成金の申請とか、銀行の手続きとかをなんとか一人でこなしている。

自力で生きていけるようになるのが一番大事なことだから、良かったと思う。

基本学校と家の往復で、せっかくフランスにいるから的なことは全然してないみたいだが、コンサートだけは惜しみなく行っているみたいだ。

ここ1ヶ月だけでも、ベルリンフィルアルゲリッチワーグナーのオペラ(4時間!)、サイモン・ラトルが振ったマーラーなど。

 

今はまたクラシックへの熱が高まっていて、だいぶ楽器を頑張ってやっているみたいだが、別に身が入らなくてもいいし、興味がなくなったらなくなったでいいし、なんでも好きに過ごせばいいよと思っている。

何が功を奏すかなんて誰にも分からないのだから。

すでに毎日が冒険だし、好きなことを頑張っているだけで、もう十分。

これまで随分あれこれ口出ししてしまったことをとても反省しているので、もうつべこべ言いたくない。

彼にとって自然で、快い選択をし続けて欲しい。幸福であってほしい。