先週は、急に寒くなって、季節の変わり目に起こる喘息の発作がとてもひどくなって、三連休に救急へ駆け込む羽目になった。
寒暖差がとりわけ激しかったせいだと思うが、こないだ食中毒になって体が弱っていたこともあると思う。
病院のカルテを見たら、前回は3年前のやっぱり10月の初めに深夜の救急に駆け込んでいた。
8月末に末っ子を生んだところで、やっぱり体が弱っていたというタイミング。
それにしても、今年の初めにコロナ(オミクロン)に感染してからずっと、体の調子がどうもすぐれない。しゃきーん、と元気な感覚をなんとか取り戻したい。
長々不調が続いてしんどいよお〜と愚痴ると、夫氏が、やっぱりひと一人産むというのはそれだけのことなんだと思うよ、としみじみ言う。
覚悟の上ではあったけど、高齢出産は、産むのもきついが産んで終わりじゃなくって、むしろ産んでからより体力勝負の日々が始まると言う点でも、まあまあシビアなことである。
たまたま夜起きるタイプの子だったので、末っ子が生まれてからの3年間、朝まで一度も起きずにぐっすり寝られた日って多分3日くらい。
この歳で細胞分裂なんてよくしたものじゃと我ながら感心してしまうが、昨日、シニード・オコナーのドキュメンタリーを見ていたら、インタビュー映像で「子供は4人、一番上は22歳で一番下が2歳」と涼しい顔で言っていた。ナント!上には上がいるである!
でも、一番大変な時期はようやく過ぎたかな、という感覚。
本当にいっときも目を離せない、何のストッパーもない究極の無鉄砲期はいつの間にか終わっていて、見守っているとだいぶいろんなことを加減してやるようになっている。
いっぱい失敗して泣いて、それなりに学習を重ねたんだろう。
3人育ててみて、やっぱり3歳までを何とかサバイバルする、3歳をひとつの区切りと考えて、そこまでは何とか家族で協力して気合いで頑張るんだ、ということはあると思う。
よれよれで破れかぶれだが、うむ、何とか頑張った。
何とか死なせずにここまで来た。よし。
これからは徐々に、もうすこし心身にゆとりを持って日々を過ごせたらと思う。
毎日に小さな幸せを感じて、今を味わえるよう。
それでも、今でも十分、なんて可愛いんだろと思う日々だ。
3年前にはいなかった人がすごい存在感で家中を照らしているさまを眺めて、縁あってこうしてともに暮らしていることをふとまじまじと思っては、何度でも不思議で嬉しくてびっくりする。
この1ヶ月くらいで言葉が急に増えて、もうすっかりいっちょ前な「こども」になったことで、コミュニケーションが一つ上のステージに上がったのも楽しいことである。
要求の言葉だけではなく、こちらの投げかけに対してのアンサーがあるということは、随分張り合いのあることなんだなと感じる。
「ありあと」「だいじょおーぶー?」「(だ)いしゅきよ」「わかった」といった言葉たち。
それからだいぶ歌うようになった。こどもの歌声と笑い声を聞いていれば、よれよれ母さんなんとか踏ん張っていけそうだ。
それにつけても、普段呼吸なぞいちいち意識なんかしていないのだけど、気道が細くなって息を吸いたくても吸えなくなると、あ、呼吸がうまく機能しないと人って数分単位で普通に死ぬのだなということを思い出す。
人間は、しぶといんだか儚いんだか。
どうとらまえればいいのかよく分からない。