昨日の仕事帰りに、車の中でポッドキャスト「となりの雑談」を聞いていて、思わずぐっと聞き入ってしまった話があった。
それは、職場でのコミュニケーションについての話。
何かを言語化して問題提起をすることは、そのことを特に問題とは思っていない人にとっては「今まで問題じゃなかったところにわざわざ問題を増やしている」と捉えられがち、だから耳を傾けてもらえにくいんだという内容だった。
現状で何がしかこうむっている、負荷がかかっている側の人には問題がくっきり見えるけれど、負荷がかかっていない側の人には、それは見えない、気づかないものなんだ、と。
私は、この話を聞いてはっとして。
先日書いた家事についての話の中で、この社会や、友達の話を聞かないその夫と息子や、家事に消極的な人たちのことを、「家事はまともに向き合ったり考えたりする価値がないものだから」ないものとして扱われる、と私は書いた。
私の認知歪んでたなー、とため息がもれた。
「負荷がかかっていない、ゆえに自分はオーケー」という状況を、「家事には価値がないと軽んじ、めんどくさいことを押し付けたいからまともに取り合わないんだ」と、拡大解釈して、それを自明のことのように思い込んでしまっていた。
この箇所以外にも、ところどころ自己卑下するような、同時にロジックでねじ伏せるような書き方になってしまっていたなと思う。
一通り書いた後に、こういう自分の思い込みや思い違いに気が付くことは、わりとしょっちゅうある。
自分なりによく考えて、言葉も選んで書いたつもりなのに、目の前のおっきな思考の落とし穴が目に入ってなくて、「いや、これが見えてへんかったの?」と後で自分でもびっくりする、みたいなこと。
あーまたやっちゃったなとがっくり、しばしぽかんとした気持ちでハンドルを握っていた。
さらにこういう言葉も。
結構よくあるあやまちとしては、自分が言葉が得意だっていう自覚がない場合、「なんで聞くだけなのに聞いてくんないの」とか、「なんで言ってんのに分かってくんないの」と、できる側ができない人のことが分からない。
(Podcast「となりの雑談」EP.110「同じテーブルで」より)
元々自分の考え方や物事の判断の仕方って、一般的で穏便なものではないと自覚しているつもりだが、さらに傷ついてると、突っ走っている自分が見えなくなる。
怒っていると、感情がエスカレートして、自分にとっての「正しさ」を後ろ盾に、傲慢になっても気が付かない。
傷つきや怒りというフィルターを通すと、自分を守るためにすごく飛躍した論理構築を平気でしてしまう。
傷つきと怒りは、あまりに切実ゆえに、不器用でみっともない形を取る。
そして、分からないことへの怖れ。
ろくに知らない他人のことを、自分と同じような傷つきを抱えた友達の話だけから類推して、勝手に言い切ってしまったのは、私は、自分には理解できない相手が不安で怖かったから、力技で「分かった」「見切った」として勝とうとしたためである。
本当は他人のことは「分からない」としか言いようがなく、明言できるのは自分の言動だけなのに。
でも、どんなに拙くても、その時々の自分にとっての正直な考えを吐露することは、やっぱり私にとってはいいことなんだろうなと思う。
まあ、普通はすすんで恥をさらすようなことを人はしないものだとは思うが、別に私なんて、しょうもなく、偏っていて、間違っているから、いいのだ。
でも、そんな不完全な自分だからこそ、可能な限り、特定の他者に対する非難や批判には慎重であらねばならないということを改めて肝に銘じる。
この場所では、心の中にあるものを、できるだけ正確に言葉に置き換えたいという思いがある。
誰にとっても正しいことや、受け入れられやすいことを書くことには興味がない。
共感してくれたら嬉しいが、誰かに受け入れられたり認めてもらうためには書いていないからだろうと思う。
じゃあどうしてこれが日記じゃいけないのかというと、それでは体の外に出したことにならないからである。
フォロワー0の誰も見ることができない鍵アカウントでの発言は、自分の脳に刺さって抜けないUSBメモリに文章ファイルを保存するようなものなので、体の外に出ていないのと一緒である。
(「いのちの車窓から2」星野源著より)
ひとつの考えをアウトプットし、世界にさらしてみることで、さまざまな考えとぶち当たる。
順調にへこみ、そんな自分を面白く眺め、またちょっと見晴らしの良い場所に歩を進めれて良かったなと思う。
書くことで、私は変わっていく。
スマートではないかもしれないが、私は多分考えを言葉にすることでしか、自分を癒せないし、呪いを溶かせないし、学べない人間なんだろうと思う。
間違いを繰り返しながら、色んな人やものに出会って、教えてもらって。
痛みやしんどさは常に伴うけれど、そうやって自分が少しずつでもましになれることが嬉しいし面白い。
思い込みが激しいこの性格は多分治らないから、その分、いつでも変わる心構えでいたい。
そのために、できるだけ素直で柔らかく、心に余裕を持っていたいなと思う。
さ、そろそろ日帰り温泉に行く準備しよ。