
いわゆるタイムリープものと余命ものと聞くとちょっと警戒する。特に邦画。
そのコンセプトにいささか頼りすぎじゃないかと感じるし、この舞台設定でもってインパクトや感動を比較的簡単に実現しようっていう思惑に安易さを感じてしまうからである。
そんな「タイムリープ」「余命」そして赤面するような「ど直球なタイトル」という、邦画三ベタ要素を、坂元裕二があえてお題にしてみた感。
ストレートなコメディとして楽しめる作品でありつつ、やはりしみじみと味わい深い作品になっていて、さすがだなあ。
通常タイムリープも余命ものも、関係性を「点」で捉えているからこその、このコンセプトである。
完璧な結末、最高の瞬間、あっと驚く結末、切ないタイムリミット。
いずれも関係性をある美しい結実に向けて、高めていったり、ブラッシュアップしていったりするという発想がそこにはある。
でも、現実の恋愛関係や人間関係は、全く点で捉えられるようなものじゃないし、ある状態をもってすっきりと完結するようなものでもない。
「ハッピーエンド」とか「ゴールイン」って、なかなかに誤解を招く罪深い言葉だと思う。
脱線するが、私が男性が女性に贈るプレゼントの中で最も無理と思うのは、「部屋を花束で埋め尽くす」という、時々聞くやつだ。
だいぶ前のことだが、テレビの対談である歌舞伎俳優が、「私、落としたい女性がいたら部屋中いっぱいに花束送りますから」と誇らしげに言っていて、それを聞いていた俳優も「あ、それ俺もやりますね」と返していて、こりゃすごい集いだなと思った。
それって、関係性をまさに点でしか捉えていない人の発想だし、大量の生花を一方的に贈りつけられた側への配慮もないし、「落とす」という言葉の通りエゴ丸出しの狩りでしかないし、そんなステレオタイプなことをできるダサさも含めて、ひとつもロマンティックでも愛でもないと感じる。
むしろ、一方的にハンターにロックオンされた女性の恐怖を想像して震える。
でも、それを喜ぶ女性もいるから成立するならわしなのだよな。人の好みは色々だ。
こないだ「アプレンティス ドナルド・トランプのつくり方」を見ていたら、トランプが最初の妻を「落とす」ためにやっていたので、やっぱそうなるのか、と苦笑してしまった。
「王子と王女は末長く幸せに暮らしました」
のその後、共に積み重ねる非カラフルな日常こそがパートナーシップなのだし、坂元裕二の描くストーリーはいつだってあらゆる関係性を点ではなく、長い時間軸で捉えている。
「で、結局どうなったの?くっついたの?別れたの?」
というような無粋さと対極にある微妙なものを描き出そうとする。
だからこそ、彼の提示するストーリーには、いやらしい人間味や、安心感や、ままならなさへの諦観が含まれている。
とはいえ、地獄味はあくまで薄めである。これはほろ苦いおとぎ話。
パートナーシップって、片方がちょっと自覚や反省をもったからって、失敗も後悔もなく為しえられるような生易しいものじゃないとは思う。
そこはあえてと思うが、まるっとスルーされていた。
そういう部分にフォーカスしたも作品は、この先きっと別の作品で見られることを心待ちにしている。
松たか子といういろんな意味で特別な俳優の力技で成立していた面も明らかにあって、彼女がなぜこんなにも重宝される俳優なのかが改めて納得させられた作品だった。
ちょっと他の誰かは思い当たらないものな。
西川美和監督が以前「松さんは何をやらせても品がいい。だからどんな表現でも安心して任せられるんだ」と言っていた。
こればっかりはある人にはあり、ない人にはないとしか。
松村北斗の好ましい存在感も、すごく今って感じで、可愛らしいふたりをにこにこしながら見た。
犬嫌いという設定の松さんが全身でフリスビーを投げて犬を追い払おうとするさま、最高に笑った。そもそもなぜそこに大量の犬たちが。