みずうみ2023

暮らしの中でふと心が動いたことについて書いています

うれしいを伝える

2025年も、最後のひと月に入った。

夏の終わりからの落ち込みは、最近はだいぶ上向きになり、人と話すのがわりと苦でなくスムースにできている。

ちょっとしたことにも感謝の思いが自然に湧いてきて、おだやかな気持ちのこのところ。

自分自身がスムースだと、自分を取り巻く世界も途端にスムースになる。

あれ、こんなにたやすいことだったっけ、と、毎回拍子抜けするように思う。

どうしてこんなに簡単なことを、私は難しく考えていたんだっけ、と。

でも、どう頑張ってもぎこちなく、考えすぎて、人と関わるのがつらくなってしまうターンもまたいずれやってくる。

世界は鏡で、全ては自分が作り出したものなのだから、自分で選び取るんだってこと、元気な時にはすっと素直に受け取れるのだけど。


年の瀬だからか、自分にとって大切に思う人たちのことを、ふとした時に思うことが増えている。

会える人にはなるべく会い、遠くにいて会えない人は、元気にしてるかな、と心の中で懐かしく思う。

元気で幸せでいてほしいと思える人がいるってことが、幸せなことだ。


私の住む町では、10月の終わりからインフルエンザが大流行していて、最近ようやくおさまってきた。

我が家は奇跡的に全員感染することなく、元気で過ごせている。

夫氏が、寝室とリビングの温度管理と湿度管理を率先してやってくれていることが大きいんだと思う。

私はいつも目の前の状態が全てで、先を予測して備えるということがなかなかできないから、今日明日の天気を見ながら、明け方の気温が下がるくらいの時間からエアコンを動かして、寝室がちょうどいい温度を保つようにタイマーの設定をするとか、加湿器の世話をしたりするとか、とてもできない。

夫氏がついでみたいにささっとやってしまうのを、いつもすごすぎると思っている。


私はどちらかというと粗雑で過集中、夫氏はどちらかというと用心深くて過敏な性質。

生活における大体のことが、私がさてやるかと腰をあげるタイミングは、彼にとっては遅すぎるみたいだ。

いつも言われてはじめて気づいたり、いちいちびっくりしたりしている。

これまでは、それでいつも謝ってばっかりだった。

でも、私はやりたくないわけではけしてなく、押し付けているわけでもない。

ただタイミングが異なる、ただ遅くて、先の予測が苦手。


夫氏はきっと「私が一向にやらないから、仕方なく自分がやるはめに」と、思ってるんだろーなー、と長年引け目を感じてきた。

でも、気がつかない・気がきかない人間が、自分をどんだけ責めてみたところで、それによって気がついたり気がきくようにはならず、何十年経っても私はしぶとく私のままであった。

頭では分かっていた「自責はクソ役にも立たない」というシンプルな事実を、腹の底から納得せざるを得なかった。

 


それで最近、自責はもうやめようって少しずつ思うようになった。

そもそもさ、彼のタイミングや感覚のほうが、私よりも絶対的に正しいってことにはならないと思うし、私も私なりにまあまあがんばってるのだ。

確かに色々負担をかけてはいる。かけてはいるが、別の部分では私が進んで引き受けている部分もある。夫婦はおたがいさま。

そう思って、あんまり申し訳ないとか私はだめだとか思うよりは、気が付けた時や、自分がやれることはなるべくフットワーク軽くやり、甘える部分は甘えて、素直にありがとうって言おう、と意識的に思うようにした。


そうしたら、相手は自分の得意なことを自然にやっているので、案外負担とは思っていないことも色々あることが分かった。

私が思い込みで勝手に引け目を感じてややこしく逆ギレしたりしている方が、よほどはた迷惑なことだった。

それよりは、「あなたがやってくれたこれこれのおかげですごく助かってる、ありがとうね」と惜しみなく感謝を伝える方が、お互いにとって全然いいことだった。

必要とされていたのは、罪悪感じゃなくて、感謝だった。

「相手に申し訳ない」という罪悪感って、相手を気遣っているようで、実のところ、相手への怒りや自分自身へ不全感を心の奥に押し込めることになってしまいがち。

罪悪感は、互いの関係性を歪めこそすれ、良きものにしてはくれない。

だったら、そんなものはきっぱりと捨ててしまうべきなんだ。

 

そのことを気付かせてくれたのは、今、マルシェの仕事で週1会っている相棒Mさんだ。

2025年に新たに出会った人の中で、一番インパクトの大きい人だった。

大先輩のMさんは、愉快で愛嬌のある人。

誰とでもすぐ仲良しになってしまう人柄で、お客さんにとても愛されている。

彼女に会うために、電車やバスにわざわざ乗ってやって来る常連さんが何人もいるし、毎週ドリンクの差し入れをしてくれる人もいる。

 

私は基本的に、誰にも親切に礼儀正しく接するけれど、Mさんのように何のガードもせず誰かと距離を詰めることがなかなかできない。

やっぱり人が怖いから、自分が傷つかない程度の間合いを空けて人に接してしまう。

Mさんの、「世界と他者は自分にとって友好的で親切なものだ」と基本的に信じているさまには、いつもちょっと圧倒されてしまう。

「育ちがいい」って、色々あっても根本のところで世界と他者の善性を信じられるほどに、愛され守られて育てられた人のことだと思っているが、それってまさにMさんのことだなと思う。

 

横で見ていてすごく新鮮だったのが、彼女が頻繁に「うれしい!」と言葉にして言うこと。

こんなにもうれしいうれしいって言う人を、私は他になかなか知らない。

先月一緒にランチをした時に、Mさんにそのことを「とっても素敵だと思う」と伝えたら、「確かに口ぐせかも!めっちゃ言ってる気がするー!」と彼女はまんまるな目をして店内に響く大声(基本いつも声が大きい)で言っていた。

それで、自分はなぜか、うれしいっていう言葉を口に出すことに抵抗があるってことに気付かされた。

それはなんでだろう、と考える日々が始まった。

 

屈託なくMさんは、「うれしいって言うと世界が変わるから、意識的にやってみな。最初は慣れなくて妙な感じがするかもしれないけど、踏ん張って言ってみるんだよ。実験と思って。で、どうなったか報告してね!」とこちらにぐっと顔を寄せて、圧強めで勧めてくれた。

うんうん、試しにやってみます、と答えた。

 

その日、帰宅した私に、夫氏がルーティーンの家事を「あれやっといたよー」と普段の感じで報告してきた。

私もいつもの感じで反射的に「ありがとー」と言った後、あ、そうだった、とMさんの言葉を思い出し、「助かる、えと、うれしいー」といささかぎこちなく付け加えてみたら、夫氏の背中がぴくっと動いた。

何も言わなくても、その場になんとなくちょっといい空気が漂って、おおこれは、と小さく驚いた。

 

それで、これは面白いぞと思って、一番の実験対象は夫氏だけれど、家族に限らず、日頃から「うれしい」を言葉にするように心がけるようになった。

果たして、Mさんの言ったとおりであった。

うれしいという言葉を口にするたび、私を取り巻く世界は少しやわらかいものになった。

ありがとうよりも相手は確実に嬉しそうだし、「うれしい」という自分の発した言葉を聞いた私自身の心の温度がふわっと上がることが、自分の心が喜んでいることが、体感で分かる。

「うれしい」ってこんなにパワフルな言葉なんだということを、今更ながら教えてもらったという気持ち。

 

今週、結婚記念日だったので、ほんとに久しぶりに電車に乗って夫婦でお出かけをした。

私は夫氏が疲れているだろうと思って、いつもの箱根の温泉に誘ったんだけれど、夫氏がそれじゃつまんないからと言って、色々調べて、横浜さんぽを提案してくれた。

で、元町をぶらぶらして、港の見える丘公園まで歩いて老舗の洋食屋でご飯を食べた後、海を見ながら山下公園を歩いて、赤レンガ倉庫のクリスマスマーケットへ行った。

ベタなデートコースが照れくさく、「うれしい」をなんのてらいもなく言うことはまだまだ難しいから、帰り道、ぐっとお腹に力を入れて「昔に戻ったみたいでうれしかったな。楽しかったー来年もまた来たいー」と伝えた。

夫氏は「じゃあ良かった。今日はグッドチョイスだったね」と言っていた。

そういう事をあまり言い合わないできたから、お互いにちょっとおっかなびっくりな感じであった。

でも、素直にうれしいと伝えることで、一日をとても優しい気持ちで過ごせたと思う。


私は今まで、一体何のために出し惜しみ見たいなことをしてきたんだろう。

それはなんてもったいないことだったろう。

 

昨日、Mさんに「横浜、楽しかったんですよ、Mさんのおかげです」と伝えたら、Mさんはこんなことを教えてくれた。

相手に自分の感情を伝えないことは、傲慢なことだと私は思ってるんだよ。

他人だから、気持ちを伝えなければどうしても分からないから、色々憶測することになるでしょう。

気持ちを伝えないということは、相手に余計な思考の負荷をかけさせるという、人として不親切なことだと思う。

うれしいって言ってあげたら、相手はそっかうれしいんだ、って思えるでしょ。

それって一番楽ちんで、安心することだよ。

自分の感情を言うことは、相手に親切にするということ。

うれしいとか、楽しいとか、逆に怒ってるとかでももちろんいい。

自分が今こんな風に感じてるということを、相手に伝えることは親切だし、大事なことなんだよ。

 

「ありがとう」も大事な言葉だけど、ありがとうには、自分の感情は入ってない。

「うれしい」の主体は私。そこが全然違うんだな。

私はけんかをしたくないあまり、自分の感情を飲み込むことがだんだん増えて、かえって夫氏を苦しめていたのかもしれない。

彼にずいぶん不親切に接してきてしまったように感じる。

そう思うと胸が痛んだ。

でも今回、心から気付くことができたから、これから先は、感情を伝えることを抑えない。

うれしいはもちろん、思ってることをなるべく率直に、こまめに伝えようと思う。

 

 

私がうれしいことをうれしいって思ってくれる人が家族であることは、幸せなことだ。