みずうみ2023

暮らしの中でふと心が動いたことについて書いています

政治の言葉① 長く傷つけられてきた

久しぶりに、政治のことをちっぽけな自分の言葉で書こうと思う。

 

夫婦で以前はよく政治の話をしたものだけど、夫氏はもうすっかり政治的なことに思考のリソースを割くことをやめてしまった。

誰が総理大臣になったとしても、この国が自分たちのことを自分たちで決められる国でない以上、結局なるようにしかならない、だから自分自身がどうありたいかにフォーカスして、出来るだけ機嫌良く生きたいのだ、人生短いから。

私の理解では、彼はおおむねそういう考え方だと思う。

家族が不快に思う話題をわざわざ振りたくはないので、私も出来るだけ政治の話はしないように日頃から気をつけている。

娘氏から問われた時には、出来るだけ率直に自分の考えを伝え、話し合う。

 

私自身も、この夏に自分のスマホ依存を本格的に見直して、一時期はSNSをほとんど見なかった。

そうすると、元々紙の新聞もテレビも見ないので、私の日常から「政治」という分野自体が、まるでゲーム機をスイッチオフしたみたいに、きれいに消滅してしまった。

呆気ないほどのさっぱり感で、とても身軽になったような気がした。

 

それで実感した。

今の世界における、人の心を揺さぶる多くのこと、ポピュリズムポスト・トゥルースやあらゆる問題提起や政治的思想、論戦や誹謗中傷、連帯や共感、そういったことたちは、ほぼSNS、とりわけTwitterYouTubefacebookから発信されているのだ、ということ。

これらいくつかの巨大SNSプラットフォームによって、人々の脳は相当乗っ取られている。

よく言われることではあるし、頭では分かっていたことだけど、実際のところ、SNSは色々ある要素の中のひとつ、という範疇ではなく、それさえ取り除けば大部分が解決するほど圧倒的な「元凶」なんだと思う。

 

今の世界で、最も「頭脳明晰」な人たちが集結する場所の一つが、SNSを運営する企業だ。

彼らは、自らのSNS運営の収益を高めるべく、プラットフォームを練り上げる作業に日々勤しんでいる。

AIにはやたらめったら精通していたとしても、それと彼らが良識や想像力を持った利他的な人であるかどうかは別のこと。

むしろ、こうした企業のCEOはダークトライアドが高い人物であるケースが多いことはよく知られている。

ちなみに、ダークトライアドとは、

マキャベリズム(目的のためには倫理や道徳に反しても構わないという考え方)、

ナルシシズム(自己愛的、選民思想的考え方)、

サイコパシー(共感力や自責心が欠けており、大胆でストッパーが効かない、極めて自己中心的な反社会的人格)

という3つの性質をさす。

 

誰よりもAIに精通したプロフェッショナルたちが、ダークトライアドの経営方針に沿って巧みに作り込んだシステムを出し抜くこと、プラットフォームに利用されずに適切に利用のみすることは、ほとんどの人には不可能だと思う。

SNSには、良い面や楽しい面も確かにたくさんあるけれど、分かっておかねばならないことは、私たちはSNSを見るたびに、なんらかの形でダークトライアドの価値観に晒され、それになびかされることを避けられないということだ。

 

だから、あらゆる政治的洗脳を解く、最も手っ取り早く不可欠な方法とは、SNSのスイッチを完全オフにすることなのは明らかなのだけど、私自身は、社会のあらゆるしんどいこと、政治のままならないこと、苦痛なことを、見聞きしないで済ませればいい、自分のことだけを考えていく、という姿勢には葛藤がある。

 

関係がないってことにはならない。

私と社会、国、世界はつながっているし、私は社会に、この国に、この世界に内包された存在だから。

生きてるだけで罪深いということから逃げ切ることはできないし、何の影響も恩恵も受けずに生きることもできない。

 

今回、引きずり下されるようにして石破氏が退任し、高市氏が新たな自民党総裁になって、また麻生氏が副総裁、裏金や歴史否認主義の人たちが再び重用されるという、相変わらずどこまでも政局しか見ていない政治の流れがあまりに無理すぎて、しばらく心が折れていた。

私は高市さんという人の、安倍元首相の考えを踏襲した右翼的思想に対する危機感もさる事ながら、あの不自然極まりない筋肉の動き方で無理に偽りの笑顔を作ろうとする表情がぞっとしてしまって、どうしても見続けることができない。

この人を、これから何年もメディアで頻繁に見なければならないとは(泣)

 

そんな中、昨日、公明党が連立を離脱し、石破総理が80年談話の記者会見を行ったというニュースがあった。先週は国連での首相演説もあった。

80年談話は、演説と記者会見合わせて2時間近くもあったが、家事をしながら聞いた。

 

昨日、私が感じていたことは、私は自分の生きる社会が公のものとして発する政治の言葉に、長い間深く傷つけられてきた、ということだ。

反知性的で強権的で幼稚な姿勢や、

分断を煽るような嘘や誇張、指摘されても言い訳がまかり通ると侮り

言いがかりやまぜっかえしやご飯論法といった相手を愚弄するごまかしに満ちた言葉、

弱い立場の者への無視や差別、無知、

のみならず非難の矛先を逸らすために弱者を中傷さえし、

あらゆることを矮小化し、自己責任化し、

言質を取られぬためのずるく中身のない無難な言葉、

原爆記念式典でコピペの文章を読む心ない行為、

空虚あるいは相手へのリスペクトに欠けた国会でのやりとり、

立場の弱いものを怒鳴ったり威圧したり嘲笑したりするパワハラのさま、

聞くに耐えない下品な言葉とそれを称賛する人たち、

こうした言葉や態度を、この10年あまり、政治家の発言を中心に、一方的に見せつけられてきた。

それは社会からのDVだと私は思う。

そこに人の尊敬を削る言葉を吐く者たちがいるという事実がある以上、耳を塞いで、目をそむけて見ないようにして、それで解決するようなことではやはりないんだと思う。(続)