ここ半月、末っ子に毎晩のようにこの本の読み聞かせをせがまれている。
不思議と何度読んでも退屈しない。
とぼけた「間」が妙に心地良い。しっくりくる。
可愛らしいだけじゃなくなかなか味わい深い絵本だと思う。
どんなに気をつけても、おしっこの前か後におしっこがちょびっと漏れて、パンツを濡らしてお母さんに怒られてしまうもれたろうが、あちこちに仲間を探し求めて「ぼうけん」をする。
「弱点を持つ人」を入り口に他者に接しているうちに、もれたろうはある大事なことに気付く。
そとからみたらわかんないけど、
みんなそれぞれ その人にしかわかんない こまったことがあるんだな・・・
当たり前のことのようだけど、このことをいつも踏まえて他者と接することは、言うは易しでとっても難しい。
私は、何度でも思い込んではすっ飛ばす。
誰かを傷つけてようやくハッと気付いたりする。
人それぞれの複雑さや繊細さがあまりに難しくめんどくさく、人がもういやんなってしまうこともたびたびだけれど、でも、その逆もある。
誰もがそれぞれのしんどさを抱えながら明るく生きていることへの敬意。
その人がふと見せた弱さやだめさに感じる愛おしさ、共感、なんともしれないおかしみ。
人って面白いし、素敵だなあと思う。
久しぶりのアレクサンダー・ペインは、期待通り、彼の映画ならではの後味を残した。
まさに、「その人にしか分かりえない困ったことを抱える人たち」の物語だった。
お世辞にもナイスとは言えない、食えないめんどくさい登場人物たち。
みんなあまりにでこぼこすぎて、属性から年代から何もかも違いすぎて、まとまりようもない。
それぞれのクセや敵意や冷淡さに見えるものは、深いところでこじらせた傷つきに端を発している。
それぞれが、孤独でいたいけで。
彼らは身勝手で、嘘もつくし、ずるもするし、だましもする。
飲みすぎたり、間違ったことをしたり、しょうもない見栄も張る。
でも、アレクサンダー・ペインの映画の住人たちは、いつだって、人として譲れない何かを死守しようとする人たちだ。
不器用でままならない。でもその頑なさは愛すべきものだ。
アレクサンダー・ペインは、「譲れない何か」があるということが、人として最も尊いことなのだと、人間の生命線なのだと捉えているような気がする。
譲れない何かをなんとか守り通そうともがく人は、正しさや好き嫌いを超えて、信頼できると思う。
それにしても私は、人と人との間に、親子でも恋人でも師弟でも友達でも家族でも同士でもない、名前のつけようのない関係性が立ち上がる瞬間を見るのがたまらなく好きなんだなと思う。
人と人が、なんの立場も比較もない、ただの無防備なその人として、率直さと愛をもって相手に向き合い、結果としてささやかでかけがえのない何かを与え合うさまが。
その関係は、未来のどこにも結びついてはいかないし、分かりやすく何かの役に立つこともない。
短いその場限りの、しかし掛け値のない真剣な関わり。
ほんのひとときのこと。でもそういうささやかな善き思い出が、時に人間という存在への信頼を担保する。
人が取り返しのつかないことになることをすんでのところで押し留めたりする。
その後二度と会わなくても、一生その人の心の奥底を温め続けることにもなる。
人は、そういう美しい出来事に、生きている間に何度遭遇できるだろう。
そういう機会を一つでも多く持つことが、生きる甲斐なんじゃないかと思う。