みずうみ2023

暮らしの中で出会った言葉や考えの記録

やりたいことをやった時点で成功

きりりと寒い初冬の朝。

11月最後の週、そして私がファシリテーターとして参加する対話の日も近づいている。

あれこれ思い悩んで準備もしてきたが、力不足はもう仕方のないことなので、最終的には「自分の持っているものを使って愛を広げる」という構えから離れずにいることだけだ、と半ば開き直るように思っている。

 

昨夜は、知人が演者として出演しているバレエとオペラの小さなコンサートへ家族で行ってきた。わちゃわちゃの3歳がいるので親子室を出たり入ったりしながらの観覧になったけれど、クリスマスを感じるとても良いひとときになった。

知人は、身をさらして、大きな声を張り上げて演じていた。すっごい上手で堂々としていて素敵だった。

もちろん自分がやりたいからやっているのだけど、この舞台を良いものにするためには自分のことなんてどうでもいいっていうくらいに吹っ切れた姿で、それは他の演者の方々も同じで。

私は歌いながら喋るオペラってものにどうにも慣れなくて、さらに親子室からだと何を言っているのかがなかなか聴き取れなくって、舞台そのものから十分受け取れたとは正直言い難かったのが申し訳ない。

でも、私は演じる彼女の姿にとってもエンパワメントされた。

 

自分に自信が持てずにくよくよする気持ち、恥ずかしかったり、状況が十分に整っていなかったり、いやんなるくらい緊張をしたり。

自分の身をさらして表現するということに対するさまざまな葛藤や怖さがある。

やらないで黙って見てるだけなら一つも恥をかかないで済むし、他人のジャッジにも晒されず、自分の身はおびやかされない。

やらないほうが全然楽なのだ。

でも、それらを全部どりゃあーって乗り越えて、自分がやりたいという熱を大事に守りきって、身を投げ出して、ひたむきに取り組む姿を身をもって見せてくれた。

そういう生き様を見せてくれる人は、周囲の人たち(何よりも彼女の子どもたち)にとって、これ以上ないくらいにすごい、最高の先生。

 

人が自分の好きなことを、大事に真剣に考えながら、勇気を振り絞ってそのことをやる。

評価されるとか、売れるとかじゃなく、やることそれ自体が、人間の生きる甲斐じゃないかと思う。

ささやかでも、体を動かして、実践をする。

表現をして発表してみる。

想像力をよく働かせて、正直かつ配慮をもって発言する。

 

今の世の中は、傍観してるだけの方が得策だっていう価値観がある。

わざわざ自己開示するのは、自分の格好悪さや弱みを晒すことで、恥ずかしいし馬鹿げてるって思われている。

でも、人は、人間の格好悪かったり弱かったりする部分どうしようもない部分を見たり聞くことで、救われたり、許される気持ちになる。

 

もちろん、今は何もしたくないってことならそれで全然良く、何かをやらなきゃいけないってことではない。

でも、もし好きなことややりたいことがあるのならば、それはいつも同じ熱量で勝手に無尽蔵に存在するものではない、有限なものだから本当に大事にしないといけない。

やりたいことはただやればいいのだし、失敗しても繰り返しやり直せばいつかは何かにはつながっていく。

てか、やれたことが成功だから、やった時点で多分成功なのだ。

他人の評価によって自分がやるべきかどうかを決める必要はないのだ。

 

才能あるとかないとか、天才とか凡人とか、そういうことは少なくとも副産物なのだ。

まずは(犯罪にならない範囲において)全員がてんで自分の好きなことを好きにやり散らかす、命を燃やしてやり散らかす。

そういう中で、それぞれの好みとして、好きも嫌いもすげーもまあまあも当然あるが、いくら気に食わない相手でも、その人がその人のようにある権利は互いに死守するというスタンス。

でも嫌いなものとは無理に間合いを詰める必要はない。

そういうバラバラで楽な感じ。収拾とかコントロールとかがあんまりきかない、そういう世界が私はいいなあと思う。

 

とはいえ、現実社会はその真逆に向かって今日もずんずん突き進んでいる。

皆で同じものを見て、同じものを欲望し、同じ向きで歩き、自分の気持ちより全体を優先し、全てに格付けをして、競争システムで一番を何としても決め、勝者がパワーを独占するのは当然と考え、永遠に効率化し続け、違うものを叩き、弱く都合の悪いものをないものとする。

そんな世界を「スマートシティ」と人は呼ぶ。