みずうみ2023

暮らしの中でふと心が動いたことについて書いています

「その日暮らし」

傍らで眠る末っ子がむずがって、しばらく不快そうな声を出しながらベッドの上をごろごろとのたうち回りはじめた。

さすったり、扇風機の風を当てたり、声をかけたりしてなだめていたら、末っ子はほどなく眠ったが、自分が眠れなくなった。

 

ベッドサイドのランプを暗くつけて、じっとしていると、暗い考えに支配されて、苦しくなる。

そういう風に、否定的な感情がぶわっとせり上がるようにして満ちてきて、抑えが効かなくなることはたびたび起こってしまうから、あら、またこれ来た、と思い、ベッドから静かに起き上がってひとまずトイレに立った。

時計を見るとちょうど夜中の3時。

 

リビングでライトを付けっぱなしにして、娘氏がソファで眠りこけていた。

トイレのついでに電気を消し、娘氏はそのままにして寝室に戻る。

 

娘氏も私と同じ感情の浮き沈みの激しい気質で、ここ2日は自分に振り回されて、寝る時間も起きる時間もぐちゃぐちゃになっている。

普段、同世代の友達がいなくて友達と遊ぶということがほとんどないのに、撮影で関わったコスプレイヤーの女の子3人に誘われて、自分もコスプレをして朝10時から夜8時まで歌舞伎町のカラオケで歌いまくるという激しめの催しにいきなり行くものだから、あとでガクンと来ることは、ま、折り込み済みであった。

 

娘氏は、撮影で共同でもの作りをするということだけが好きで、本当はコスプレにはあまり興味がない。

そして、出会ったコスプレする人たちの多くが、現実を見ること、自分自身を受け入れることをどこかで拒絶しているさまに、彼女はどうしても馴染めない。

でもどこでも一番年下でもあるし、同世代の友達が欲しくてたまらなくて、だから自分を隠して「おんなじフリ」をしてしている。

だから楽しいけど緊張して疲れるし、何かが溜まっていく。

昨夜も眠れず持て余したまま、そのうち気絶するみたいにしてそのままソファで寝てしまったんだろう。

 

私も自分に振り回されるにまかせて、ここ数日、一人考えたことをわーーっと吐き出すみたいに書きまくっていた。

出さないことには次に行けないし、農園の仕事がある日は書く時間なんて全然取れないので、数少ない何もない休みの日、かつ書けるコンディションの時にはまとまった文章を書きたい欲に身を任せる。

まるで親の仇みたいに一心に書く。時間は消える。

そのうちくたびれたら、ヤブ蚊対策をして庭に出て庭仕事をした。

夕方の音楽が流れてはっと顔を上げて、おもむろに片付け出す。

1日って短い。

 

この書きたい気持ち、それを誰かに読んでもらいたい気持ちってなんだろう。

誰かに、ひとりでも、自分を分かってもらいたいと思う気持ちがある。

私はいい年をして、自分に対する確信というものが薄く、自信がない。

だから、もっともらしく、賢そうに誰かに何かを言われたら、簡単に萎縮するし、なびく。

社会の要請に無意識に迎合していたり、勝手に自分で自分の首を絞めて押しつぶされそうになったりしている。

だから、何度でも立ち返ることが必要になる。

私には私の思うように思う権利がある、文句あっかって、半ば逆ギレ気味に、挑むようにして、書くことで、軌道修正する。

弱い犬なのだ、わんわん。

真夜中に、そんな自分のしょうもなさをしみじみ感じながら、時折眠ろうと試みながらも眠れないまま、「その日暮らし」の続きを結局最後まで読み終えた。

 

2024年/坂口恭平著/palm books

読み進めるほどに心がしんとするような、優しく背中を撫でられているような本だった。

装丁の文字も絵も素晴らしく、本としてのたたずまいも素敵。

 

途中、2回涙が出た。

私は、本を読んでいて一番心が動くのは、「ここには本当のことが書いてある」と思った時だ。

本に限らず、映画や人と話している時などでも、「本当のこと」に触れると、私はいつも脊髄反射みたいに涙が吹き出てくる。

理屈じゃないので、誰かが目の前にいる時とかは、すごく困ったことになる時もある。

 

本当のこととは、嘘じゃないという意味ではなく。

その人が心の奥に恥ずかしさを伴ってずっと抱えてきた、柔らかく健気な何か。

自分でも気付かないほど深く蓋をしてきた何かにある時気付き、

ようやく恐る恐る目を向け、

その存在を認め、

それが何であるかを認識し、

それを表現することを自分に許し、

他者に向けて素直でその人にとってぴったりとした言葉として結実したもの。

それが「本当のこと」。

それは、プライスレスで、とてもとても価値のあるものだ。

それを見聞きできたこと、その場に立ち会えたことは、素晴らしい巡り合わせ。

だから本当のことに触れた時、私はいつも「ありがとう」って思う。

 

僕は寂しいと口にしたことは実は一度もなかった。

苦しいと何度言っても苦しさは晴れなかったが、家族に「寂しい」と口にした途端、大きなため息が出て肩の力が抜けた。(p.112)

 

そしてもう一箇所、これは10歳の彼の息子、ゲンくんの言葉。

彼は子供だから、ひとつも廻り道することなく、真っ直ぐに本当の言葉に辿り着いている。すごいな、子供には敵わない。

この言葉には子供の描いた天才的な絵みたいな味わいがある。

お前はおれに一回も注意したことないよ。

これをしちゃいけないって一回も言ったことがない。

だからおれはパパって呼んでるけど親とは思ったことがない。

親友と思ってるよ。

 

本当の言葉たちは、ポジティブであれネガティブであれ、私に今日を生きる力をくれる。

今日はこれらの言葉を抱きしめるように反芻しながら、畑で元気に働こうと思う。