コロナワクチンのことに限らず、今あるさまざまな社会問題については、あまりに情報が錯綜していて、不安や恐怖を煽るような言説も少なくなく、私はたびたび情報の海で溺れそうになってしまう。
誰にも否定しようがない声高な正論みたいなものにも、正直なところもうげんなりしている自分がいる。
そういうものに心を引っ張られて、怒りや憎しみをぶわっと感じてしまうことに、とても疲れている。
だって、自分自身からして、自分の信じたいことを信じたいように見聞きしている。
その偏りを自覚しているから、ここ1年ほどだろうか、「正しさを戦わせる」ということに向かうことに、私はすごく躊躇するようになった。
以前はもっと威勢のいいことを書いていたと思うんだけど、今はそんな自分を恥ずかしく感じる。
レプリコンワクチンについては、自分自身があまりに無知なままでここまで来てしまったということもあり、今何が起ころうとしているかをシンプルに知りたかった。
そして、今回視聴した会合の内容も、2年前のようにすぐに情報源を削除する形で見えなくされてしまうのではないかな、と思って、自分がまとめたものを文字化しておこうと思った。
長々書いたこの備忘録に、何を感じるかは人それぞれ違うと思う。
どうだっていい、うっとおしいと思う人もいるんだろう。
コロナワクチンに関して、「推進派」と「反対派」みたいな捉え方があって、大体自分と主張の異なる〇〇派は多分こう思ってるんだろう、と敵対的に思いがちなわけだが、本当は全員違う考えを持っている。
誰もがその人なりに偏ったいろんな考え方を持っていて、共感できる考えも、やだなーと思う考えも、個人的にそりゃある。
でも、どんなに理解不能な考えでも、他者を害しない限りにおいて、その人が自分の思う通りに生きる自由が守られる世界であってほしい。
私は、自分の自由意志を奪われたくない。
だったら、他人の権利も同じように守る必要がある。
これはあくまで最近の私個人の人間観だが。
人間は、素敵なところもあるが、どっちかというとしょうもない部分の方がいっぱいある生き物だし、すぐに忘れるし、色々性懲りもないし、目先のことに心を奪われて愚かな選択をいっぱいするし、基本、自分と自分の周囲さえ良ければいい。
人間は、ホルモンやらお金やら欲やら、いろんなことに惑わされて間違い続け、そのたび悔い改めたり学んだりしながら、みっともなく生きる。
尊い部分、立派な部分だけにフォーカスしたストーリーが世界には溢れているけれど、それらも確かにあるものだけど、基本として、人間をあまり高く見積もらないほうがいいと思っている。
だから、いろんな良いことも残念なことも、なるようにしてそのようになっている、と思う。
やだなあ、何でだよ!納得いかないし!って思ってしまうことも含めて、一旦、そのように何とか腹に収める、という段階を踏むようにしよう、と一応努力はしている。
人間はめちゃめちゃ間違うし、常に社会にはおかしなことや不正義が溢れている。
それについて自分はこう思う、って言いたくなれば時には言うが、自分の外側にあることはちっぽけな私にはコントロールできないとも思う。
ただ、せめて自分自身に関しては、国家権力や同調圧力といったものに、自由意志を幅寄せされて何かを強制されたくない。
幅寄せと強要を巧妙に自己責任とされる、最近多用されている構造には、出来るだけ近寄りたくない。
「悪い制度には誠実に対応しすぎないことが大事で、(自分の信じるように)やってしまえばいいんです」
なんのコンセンサスも得ずに手前勝手なルールを作っては、「ルールを破ったから罰します」とか言ってくる今の世の中では、すごく大事な考えだと私は思う。
ちなみに私は、ワクチン全部が悪とも全然思っていない。
天然痘ワクチンのような、人類にとって救世主となったワクチンはあるし、どんなワクチンも、個別の事情や健康状態によって、接種する必要がある人はいると思っている。
私が嫌だなと思うのは、コロナワクチンに限らず、ほとんどのワクチンが常に利権的な存在であるということだ。
つまり、ある病気のワクチンが開発されたので→その病気に対する怖さがことさら強調されるようになり→定期接種化して安定的にワクチンが売れるような仕組みを製薬会社が国に対して推し進める、という一連の流れがある。
製薬会社が薬やワクチンを売らんがために、ワクチンはどんどん増えるし、懸念のある病気も増えるし、コレステロールや高血圧などの健康基準も引き下がっていくという医療の構造がある。
中には必要で助かる人もいるし、やりたければ勝手にやればいいが、少なくとも私は、そんな成り立ちのものをいちいち真に受けて右往左往したくない、そういうこと。
ワクチンについてのそうしたことは、末っ子が生まれた時に痛感したことだった。
上の子と14才差で生まれた末っ子は、生まれてすぐの健診で「ワクチン接種カレンダー」なるものを渡されたのだが、ワクチンの数が上の子の時と比べて倍に増えていて、たまげた。
生後3ヶ月までに打たなければならないワクチンが複数あって、このスケジュールをちゃんとこなすよう、看護師や受付の人に健診のたびに念押しされた。
それがあたかも親としての正しい務めかのような、確信に満ちた言い方で。
たった10年あまりで「それをしておかないと大変なことになる」ってことがこんなにも増えるって、あまりにおかしいでしょと思った。
スケジュールも忙しすぎるし、生まれたての子に何度も注射なんてできればしたくない。
とはいえ、子供の健康は大事だから、今回のようにフラットな情報を一度きちんと得ておこうと思った。
その時に接してとても分かりやすく参考になったのはこちらの本。

元・国立公衆衛生院の感染症室長で、日本脳炎ワクチンの改良にも携わった医学博士によって書かれた本。
ワクチンに対する基礎知識や、個々のワクチンにどう向き合えばいいかが分かる良い本だと思う。
もちろん、陰謀論的な非科学的な極論はないし、基本は打つも打たないも自由意志、という態度がベースになっている。
この中で、著者はこう書いている。
・ワクチンは、健康な人の身体にあえて病気の種を入れるものです。
・ワクチンに、一生続くような効果はありません。
・本物の病気にかかれば、強力な抗体が作れます。
・ワクチンで防げると言われている病気の多くが、ごく軽い病気です。かかっても滅多に死ぬようなことはない、自然に治る病気です。
・最近になって増えたワクチンは、打つ必要はありません。
・なかでも、国が積極的推奨をしていないワクチン(子宮頸がんワクチンなど)は、必要性が低く、副作用が多いワクチンです。医師に勧められても受けるべきではありません。
・ワクチンの副作用の事故は起こっています。ニュースにならないだけです。
・赤ちゃんへの同時接種に安全性の裏付けは何もありません。
・時と場合によって、ワクチンはとても効果的で意義のあるものとなります。
・赤ちゃんに不必要なワクチンを打ってしまったことで自分を責める必要はありません。何も起こらなかったことを良かったと思ってください。解毒をする必要もありません。
・ワクチンは、感染源にならないために打つものではありません。打つ人自身が病気にならないために打つものです。
コロナ前に書かれた本だけど、コロナ禍においても考え方の面で私は参考になった。
mRNAワクチンや子宮頸がんワクチンのように、副作用被害が深刻なワクチンは当然論外なんだけど、公衆衛生の行き届いた現代においては不必要なワクチンが大半であり、それをあえて(医薬メーカーがもうけるために)必須のような顔をしてシステムに組み込ませている、というのがワクチンを取り巻く環境の実態なのだということがよく分かった本だった。
だから、既に打ってしまったものは、何事も起こらなければ、それはそれとして、まいっか、という処理になってきたわけである。
でも低いとはいえ薬害リスクはあるし、何より不必要だ。
だから全てのワクチンを打たないことは、医師に叱られたり、自分を責めたりするようなことではなく、強制される筋合いもない。
自分の意思で、必要だと判断したものを、自分の良いと思う時期に打つ。
それがコロナ禍以前のワクチンに対する私なりの理解だった。
今回、mRNAワクチンと今回のレプリコンワクチンが登場して、その認識をアップデートすることが必要になった。
ワクチンによる薬害がこれまでとは桁が違うものだからだ。
新田教授の話で、レプリコンが無限増殖はせず、人から人へ移ることも科学的には考えにくいことが明らかになって(証明されたわけではない)、少し冷静になれたが、それでも何も考えず身体に入れていいような安全なものでは全くないし、多くの被害者を出し、何の効果もないものを、ただただ利権のために推し進めているということを、とても賛成はできない。
物価高で円安の状況で増税の続く中、高価なコロナワクチンを国民の税金を使ってまるっと買い上げようとしているのだから。
このワクチンが、この先国民の命を確実に犠牲にすることが分かっている危険なものであると分かりながら、しれっと与えようとしているのだから。
そしてもういい加減、他国には拒否されただぶついた何かを、アメリカから押し付けられるかたちで買うことを、日本は本当になんとかしてやめなくては。
不具合の多い武器兵器や、危険な農薬や、遺伝子組み換えの農産物などと、今回のコロナワクチンは同じことのように私の目には見える。
こんな風にしてこのタイミングでワクチン接種を始めようとしている国は他にないのだし、レプリコンワクチンも、アメリカのワクチン部門のみ明治製菓ファルマに移したことが動画内で指摘されていた。
「結局アメリカの利権じゃないですか。どうしてそんなことのために(川田議員)」
アメリカの言いなりであることを、すぐにどうすることもできないのは分かり切っている。
だから、自民党の総裁選なんて、少しも見る気がしない。
私たちが投票できるわけではないし、アメリカへの従順さが多少違うくらいの差でしかないから。
そんな2024年の日本ではあるが、基本は、これからも今与えられたものの中で、私の人生を出来るだけほがらかにやれるところまで生き抜くのみ、と思っている。
クソなことも多いが、良い側面も、楽しいこともまだまだいっぱいある。
私にはたくさんのものが与えられている。
そのことに感謝して、余裕を失わず、やれることをやりながら、日々を一所懸命生きる、ということに意識を集中する。
それで何かあって最悪は死ぬとしても、死ぬ以上のことは起こらないとも言えるので、と心の中でこっそり開き直っている。