ぐあーなんていいんだ、この作品無性に好き・・・と思って、後から、おおこれもロビー・ミューラーの撮影だったのか!ってことが、これまで数回。
映画は最終的に監督に属するものとは思うが、ロビー・ミューラーほど突出した撮影監督においては、作品の半分はDPのものと言えるのでは、とこの作品を見て改めて思ったことだった。
ヴェンダースやジャームッシュにおいては、盟友的な存在だから言わずもがななんだけど、初期のラース・フォン・トリアーも撮影がロビー・ミューラーだったことは本作を見るまで知らなかった。
見終わった後、映画館の椅子から立ち上がれなかった「ダンサー・イン・ザ・ダーク」。
それほど自分にとって特別な作品だったにも関わらず、その後のトリアー作品は結局どうしても好きになれなかった。
ロビー・ミューラーが「奇跡の海」と「ダンサー・〜」を撮影し、その後は二度としなかったことを知り、私は初期のトリアーが好きだと思ってきたけど、好きだったのはロビー・ミューラーだったのでは?と思った。
ていうか、どう考えてもそうだと思う。
だって3作目以降、きっとロビーはオファーを断ったに違いないと思うのだ。
そしてロビーとの関係性を見ても、私はやっぱりジャームッシュのありようって好きだなと嬉しく思う。憧れの映画人でい続けてくれてありがとう。
「コーヒー&シガレッツ」、もいちど見たくなった。
早朝、寝ぼけ眼でこの作品を見始めて、冒頭の「パリ・テキサス」や「ミステリー・トレイン」のワンシーンが映ると、もう胸をぎゅっと掴まれるような気持ちになって一気にのめり込んで見た。
今ではロビー・ミューラー風の撮影って相当あちこちで見られるけれど、やはり本家の凄みは圧倒的。
ロビーの代表作をまた見直したいし、未見の作品、とりわけ「バーフライ」は近いうちに見なくては。
以前、横道誠さんが、発達障害とは何かと問われ、「注意のあり方が多くの人とは違っている」ときわめて端的に説明していた。
私自身、いろんなものに次々注意が固着する性質で毎日すごく疲れるし、脳も酷使している感覚がある。
過集中で一点に集中して周りが消えてしまう、時間も消えてしまうから、子供の頃は真横で呼ばれても気づかず返事もしなかったりして、友達を怒らせてしまうことがよくあった。
今もうわの空だってしょっちゅう家族に怒られる。
でもそれはぼんやりではなく、むしろ逆なんだと横道さんの解説を読んでとても腑に落ちるものがあった。
ロビー・ミューラーの残した膨大な数のポラロイド写真を眺めていると、まるで自分の目を通して世界を見ているような感覚にしばしば陥った。
あまりに凝視するうちに物質が変容して見えてくるような、顕微鏡でものを見るような。
おそらくロビーにも脳の偏りがあった。
彼はとりわけ光に強い興味があり、注意が固着される。
日常生活的に不便をきたすレベルだったかもしれないけれど、だからこそこれほど独創的で魅力的な撮影をできたのだろうとも、思う。
だから、彼の撮影の美は「センスがいい」「スタイリッシュ」みたいな次元では全然ない。
ロビーは、自分の身なりも全然構わない。髪はぼさぼさで落ち武者みたいだし、服も本当にどうでもいいって感じ、自宅の自分の部屋の中もぐっちゃぐちゃで。
一般的な「美意識の人」にはほど遠いこだわらなさだ。
痛快なまでに非おしゃれであった。
でも、彼の撮影はいつだってたまらなく雄弁だし、見る人の心をわしづかみにする強烈な魅力をたたえている。
彼にとっては、世界はあまねく光と影のグラデーションである。
なによりも光をとらえるということ。
この映画を見てから、私は日常の中で何気なく撮る写真がとても変わった。
世界の何に美を見出すか。
それは光と影のディテールである。
そのことを彼は自らのカメラアイを通して教えてくれて、それは私にとってもとてもしっくりとくるものだった。
写真を撮るのがぐっと楽しくなった、ありがとうロビー。
この作品は日本公開されていないので(多分映画祭のみ)、外国のサブスクで見た。
英語の自動翻訳ですごい変な訳だったし、ドイツ語やオランダ語やフランス語のパートがかなりあったが、字幕なしのため何を言っているかさっぱり分からなかった。
特に、ラストのヴェンダースのスピーチのシーンが分からなかったのは残念。
「Until the end of world」で絶交状態になってしまった二人が、最後に笑顔で再会できた(おそらくロビーは認知症であまり分かっていなかったかもしれないが)とても良いシーンだったのに。
世界で最もリスペクトされているDPの一人なのだし、いささか散文的ではあるものの良い作品だったので(音楽も素晴しかった)、ぜひ日本でも公開してほしい。