みずうみ2023

暮らしの中でふと心が動いたことについて書いています

忙しいの研究月間

帰省したり、農繁期で多めに働いていて、一日フリーな日がほどんどない今年の6月だ。ここ最近で一番忙しいかもしれない。

我ながらよう頑張っとる、えっへん、と思うが、時々他人のスケジュールを見せてもらうなどすると、1日に2つも3つも予定を入れてるのが当たり前みたいな人が珍しくなくてびっくりする。

それでも昨今は忙しがることがクールでないという風潮なのか、私がやーすごいですねさぞ忙しいでしょう!と驚いて言っても、いやいやいや大したこたあありません、ぜんぜん暇ですー、と皆さん謙遜し、多忙を愚痴るようなこともない。

私からすれば、なんでこんなにたくさんのタスクがあるのに混乱せず、不義理もせず、元気でいられるのか、意味が分からないくらいだ。

同じ1日24時間を生きてるはずなのに、物事の処理スピードというものが決定的に違うのだと認めざるを得ない。

まったく、立つ瀬ってものがない。

もう「自分はキャパが小さいんだし」と開き直っているこの頃である。

 

人生後半戦になると大仰な夢みたいなものに向かうフェーズはとうに通り越しているゆえ、毎日を出来るだけ穏やかで健康的で幸福なものにデザインする、バランスを取るということを、日頃からすごく考えているなと思う。

自分が健やかで余裕があって機嫌良くあることが、家族の幸福感にあまりに直結するから家族に対して責任を感じるからだし、歳を取ってあちこちガタついてきたこの身体と付き合っていくにはそれなりの工夫ってものが必要だと痛感するからだし、人生の短さを実感しているからである。

 

だから毎日の自分のいちいちの行動が実験であり研究だなと思って日々暮らしている。

何時に起きて寝るのがいい感じか、朝白湯を飲むか、それがコーヒーや紅茶ならお通じはどうなるか、主食の小麦粉と米の割合、家族の日々のコンディションの見極めとそれぞれ適した距離感、いつどれくらい家族の話をしっかり聞く時間/末っ子とスキンシップする時間を確保するか、家事の何にどれくらい時間をかけるか、心身の健康のためのストレッチやヨガや瞑想をどの程度取り入れるか。

その上で、心の滋養となる読書や映画や、友達に会っておしゃべりすることやあらゆる楽しみ、こうして書きながら考えるという時間をいつどれくらい確保できるか。

そういうちっちゃく雑多なことたちを、いちいちちょっと検分し、データとして頭の片隅にストックしていくという感覚。

 

それでも、体調や心模様は毎日変化するし、自分にも周囲の人々にも社会にもいろんな出来事があり、末っ子は目まぐるしく成長していくから、なかなか満足なスタンスが訪れることはない。

ほんのささいな判断ミスや優柔不断のせいで、全部が面白いようにがたがたっと崩れてしまうような日もあって、それはそれで「へーこんな風になっちゃうんだ!」と情けなくも興味深く思ったりする。

あんまり完璧は求めず、どうせなるようになることも含めての動的平衡を保ってこう、くらいのゆるい感じがいいのじゃないだろうかと思っている。

 

さしづめ今月は、忙しさの実験をしてるような気分。

自分の心を観察すると、忙しくて暇がないのはそれなりに良いことも多いと感じる。

考えすぎるたちだから、余計なことを考えず目の前の単純作業にいそしむことは、私の場合は間違いなく良きことである。

無心に畑で定植や除草作業する時間は、ほとんどマインドフルネスやってるようなものかも、と思うこともある。

私は気が利かないし、バリキャリ的要素は一切ないが、単純作業が早い!という一点で、ありがたいことにそれなりに重宝されている。

長く主婦やってきて、ながら作業にそれなりに長けているのか、おしゃべりしながら収穫したりパッキングしたりするのが滅法早いとたびたびほめられて、へー私そうなんだと喜んでいる。

めんどくさいこともあるが、仕事でしか知り合わないだろう人と、いろんな話をするのも面白い。

そして、汗をかいた仕事が終わって、シャワーを浴びてさっぱりしてから家で飲むビールがうまいって真理だ。

 

反面、家の中は明らかに汚くなるし、よれよれで帰っても夕飯の買い出しから夕飯作りはフル作業待ち構えていて、米さえ洗われていないので、純粋に体力面できつい。

くたくたで夕飯作りをしている間も、自分の部屋にこもってのんびり動画を見たり、「末っ子を見ている」という名目で子供にただYouTubeを見せてソファに寝転んでスマホをいじっている夫氏に対して、毎回ムッとする気持ちをいつもアルコールで流して、iPodで片耳を塞いで楽しい音楽を聞いたりラジオを聞いたりしつつ作業して、ご飯ができあがった時には機嫌をなんとか持ち直すようにしている。

 

これは精神衛生上あんまり良くないなあと思う。

仕事をしてなければ腹が立つということはないから。

だから「ちょっとは手伝ってよ」と言うと、「そんなんになるなら仕事なんてやめたらいいのに」と即言われてしまう。

私の稼ぎはささいなものだし、やりたくてやっている趣味のようなものだから、ということなのだろう。

まあ実際その通りかとも思うが、悲しくなる。

それでなくても、帰宅後の夕飯→お風呂入れ、歯磨き→寝かしつけまでの一連の時間は、幼児を育てる家庭全てがそうだと思うけれど、ばたばたする時間帯だから、心に余裕ってものがなくなってしまいがち。

ライフポイントが少なすぎると、負の感情が溜まるのでよろしくない。

 

主婦はやっぱり時間や疲労度をセーブして、家庭に支障が出ない範囲で働くに越したことはないという結論になってしまうのかなあ。

私自身はもうそのバランスでいいけれど、叶えたい夢ややりたいことがある人、他者に依存せず自立して生きたい人が、結婚についていろいろ考えてしまうのは至極当然のことだよな、とは思う。

 

そんなこんなで色んな面でちょっとキャパオーバー気味の6月。

映画や買い物にも行きたいし、来月は、もうちょっと仕事量を減らす。