みずうみ2023

暮らしの中で出会った言葉や考えの記録

対話の場をひらく

11月も飛ぶように過ぎていく。

毎朝起きるたびに、昨日より寒くなってると感じる。

今日は、上着なしでセーターだけで自転車に乗ったら、風がすうすうして随分寒かった。

庭のフォレストパンジーの葉っぱもすごい勢いで散って、掃いても掃いても間に合わない。もうすぐ枝だけになる。

残暑があれほど厳しかったのに、辻褄を合わせるみたいにして、大急ぎで冬に向かっている感じ。

 

このところの私は、一見つつがない日常を送っているのだけど、気持ちが急いて人知れずじたばたともがいている。

ひょんなことから、対話の場をつくることになった。

それで、あれこれ自分なりの準備を進めている。

色々考えることが多くて、難しく、どきどきもするが、楽しみでもある。

 

これが自分のやるべきことなのかはやってみないとまだ分からぬが、押された背中に身を委ねてみることにした。

ここ2年ほど、個人的にずっと対話に関心を持って、オープンダイアローグ、哲学対話、当事者研究NVC、傾聴といったさまざまな対話の場にアクセスし、独学で手法を学んできたけれど、これらを取り入れた対話の場を不定期で開いていく。

 

対話は水もので、同時に大きな可能性をもつ。

どんな権力関係も上下関係もなく水平で、安心して話せる場所で、複数人で対話をする。

言ってしまえばそれだけのこと、しかしこれがばかにならなくて、うまくすると奇跡がその場に立ち現れる。

対話は、人が自分自身の言葉を獲得することを助ける。

互いに気付き、共に考え支える感覚が生まれる、その静かな充足感は、得がたいものだなといつも思う。

私は人間が怖いし面倒くさい、でも対話をするたび、やっぱり人間て面白いしすごいし好きだなと思える。

 

「すごい、対話はあなたの人生の課題の解決につながっている、ぜひともやるべきだ」というその人に、いやいや、自分はリーダー的な立場になったことのない人生なので、と私が言うと、

「でも、対話ってリーダー必要じゃないよね?」とその人はいたずらっぽく笑ったのだった。

色々自信なさすぎて、と尻込みする私に、だったら一緒にやろう、助けるからと重ねて言ってくれた。

本当にありがたいことである。

 

ちなみに、私の人生の課題とは、全方位的に頑固にこびりついた罪悪感を、リリースしてゆくこと。

対話をすることが、自分の罪悪感をなくすことの助けになるんだろうか。

うー、なんかなるような気もする。直感的に。

 

資格のひとつもない、何の専門性もなく、日々暮らすだけで精一杯の私、できることなんて何もないと思って生きてきた。

でもそうか、聴くことにかけては、一貫してかなり好きだった。

そして対話とは、話すことより聴くことの方が重要なパートを占めるものである。

そんな私が、対話の場を開く言い出しっぺになり、それは自分も対話に参加できるということだし、第一、人の話をじっくり聞く、潜るように考えるという、単に自分が好きで全然苦にならないことをすることで、世界の愛の量がちょっとでも増えたなら、なんというめっけものであろうかと思う。

 

月末の対話がどうか良い時間になりますように。