今朝は強い雨音で目が覚めた。
終日雨予報だから、末っ子を運動させるために車で近所のモールへ。
本屋さんの正面に村上春樹の新作「街とその不確かな壁」がだーっと平積みしてあった。
村上春樹著/新潮社/2023年
厚いシュリンクをしてある一冊を手に取り、傷んでいないか確認して、レジへ持っていくと、「ビニールがかかっているので新しいものをお持ちいたします」と背後に積み上げてある本から一冊取って、ブックカバーをつけてくれた。
あのたくさんの平積みの本全部がディスプレイなの、すご、と思う。
この国でそういう作家って他にどれくらいいるんだろうか?おそらくあんまりいないだろうと思う。
このご時世に、なんとか賞とか特に関係なく、「この作家の新しい本が出たら何はともあれ、なるだけ早くに買う」と決めている私のような人が少なからずいるというのはすごいことだ。
年間を通していろんな本を読み、好きな作家、作品もたくさんあるけれど、改めて思い返してみると、個別の作品ではなく、作家そのものを信頼して、これだけ強い動機を持って読み続けている作家は、私は村上さんだけ。
前作の「騎士団長殺し」は、正直すごく好きな作品とはならなかったけど、それでも次作をためらう気持ちは一切なかった。
人それぞれにそういう特別な作家がいると思う。
私にとって村上さんの小説はいつも個人的な思い入れとともにある。
今ではこんなにも大勢の人に愛好される、日本を代表する大作家なのに、昔と変わらず個人的に繋がっているような感覚をいつまでも保ち続けている。
だから、私は村上さんに「関する」書物というのは、一冊も読んだことがない。
村上さんの作品と自分との間に、何かが介在するのが単に邪魔でしかないので、解説や批評を読むのが嫌だと感じる。
正しいとか正しくないとか、どんな読み方も背景も、本当に興味がない。
彼の物語から受け取ったものを、いちいち言語化もしない。塊のまま受け取って、心の中の決まった場所に入れてただ寝かせておく。
でも、自分があやうくなると、あ、あれそろそろ読まなきゃ、と思って引っ張り出して読み返す。
それも感覚としか言いようがなく、合理的な説明なんてできない。
こういう風に、周りは一切関係なく、ごく個人的に静かに思い続けていられる存在があるということを、ありがたく大事なことだと感じている。
自分みたいに、特に本を読む以外のアクションをすることなく、でも切実に彼の物語を必要としている「仲間」って、日本中、世界中にたくさんいるのだろうなと思う。
リアルでは一人も会ったことがないけれど。
4/13を皮切りに、今、全国で一斉に、しばし彼の物語に深く沈み込んで過ごす日々を送っている人が人知れずたくさんいる。
一人の男性の脳内から生み出されたごく個人的な物語を多くの人が黙って文字を追って、味わって過ごしている。
そのことを想像すると、なんだかとても面白い。
今は、三國万里子さんの「編めば編むほどわたしはわたしになっていった」を2/3読んだところ。この本は、何しろ文体が味わい深くて素晴らしい。
こんなにも「この人の文体が大好き」と思える本ってそんなにないほど、彼女の文章のうまさに羨望を感じながら、うっとりとした気持ちで読み進めている。
三國万里子著/新潮社/2022年
大急ぎで読み終わり、早く「夢読み」を始めたくてたまらない。