みずうみ2023

暮らしの中で出会った言葉や考えの記録

「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」

ポスター画像

2022年アメリカ/原題:Everything Everywhere All at Once/監督:ダニエル・クワンダニエル・シャイナート/139分/2023年3月3日〜日本公開

 

昨日はちょうど今年の米アカデミー授賞式の日で、あれもそれもどれも、ぜーんぶエブエブが授賞〜!とネットの速報ごとに興奮高まる状況の中、ぽてぽてと近所のシネコンへ行って鑑賞してきた。

一見いかにもポップでキャッチーなビジュアルだけれど、あの風変わりすぎる「スイス・アーミーマン」の監督なだけに、そんな飲み込みやすいものではなかろう、しかも139分あるし、と小さく気合いを入れて臨んだけれど、果たしてその通りであった。

 

この作品が、2022年を代表する作品として大喝采で受け入れられているということが痛快すぎて笑いがこみ上げる。

キテレツお下劣、整合性なんてぶっ飛ばす突き抜け感、しかし優れて暗喩的で愛と自由な精神に溢れたこのけったいな作品が、ハリウッドのメインストリームとして堂々評価され、世界中に大拡散されることになるなんて。

なんじゃこれ、口ぽかーんってなってる人が何百万人いることだろう。うう、最高。

 

そもそも、映画作品に優劣をつけるということ自体が無理だしナンセンスであるのは当然の前提として、とりわけ米アカデミー賞の立ち位置は、他のどの映画祭とも異なると思っている。

それは、今の世界の文化や価値観のスタンダードは、好むと好まざるとに関わらず、ハリウッドが提示する物語によって形作られていく部分が少なからずあると考えるからだ。

だから、オスカーの意味とは「今年はどの『物語〈ストーリー〉』がハリウッドから祝福を受けたのか」ということなんだと常々思って見ている。良くも悪くも。

アカデミー賞を受賞することの大きな価値とは、作品の芸術性の評価もさることながら、その映画が提示する世界観、価値観が世界のスタンダードとして急速に世界中の人々に受容され、組み込まれていくことにあると思う。

 

アメリカの優れたポップアートが提示する物語〈ストーリー〉は、単なるエンタメと侮られながらその実、どんな政治行動や学校教育よりも強く、速く、人々の意識を変革するパワーを持っている。

そして、ここ何十年間、世界に最も大きな影響を与える物語は、ほとんどがカリフォルニア州ハリウッド周辺から発信されてきた。

今では地球上の大多数の人々が、程度の差こそあれ、ハリウッドから送り込まれた物語を通じて、バーチャルなアメリカ文化に浸って過ごしている。

アメリカのエンタメを消費し、楽しんでいるだけのつもりで、実は世界中の人々が自前の土着の文化を緩やかに手放し、アメリカ的思想を無意識のうちに内面化している。

言語、服装、欲望、美の基準、物質主義。人々は教育や政治ではなく、ハリウッドエンタメの物語を通じて、アメリカの価値観に染まっていく。

そのような圧倒的な影響力をハリウッドが独占的に持っていることは、怖いことだし、かなり問題があることだとは思う。

しかしだからこそ、ハリウッド映画は『善き物語』を世界に提示し続ける責務がある。

多様性と平等を肯定し、差別や偏見を打ち砕き、人々のエンパシーを高め、意識をアップデートさせ、エンパワメントするような物語を。

 

もっとも、投票権を持つアカデミー会員の92%が白人、内75%が男性という偏った構成が2016年に問題視されて以降、非白人、非アメリカ人の会員をかなり増やした結果、ここ数年はハリウッドのエスタブリッシュメントの受賞が敬遠される傾向がより強まっているように見える。

スピルバーグも、トム・クルーズも存在感の薄い今年のオスカーだった。

 

そんなわけで「イニシェリン島の精霊」や「エンパイア・オブ・ライト」が無冠であったことにも、特段の感想はない。お祭りだから。

今年の〈ストーリー〉はエブエブだった、それ以上でも以下でもない。

ベトナムボートピープルからスピルバーグ作品の子役になり、30年の不遇の後にオスカー俳優になったキー・ホイ・クァンも、アジア人俳優として長いキャリアを持ちながら、60歳でキャリアの頂点を極めたミシェル・ヨーの堂々たる輝きも、今年のストーリーとして、全くもって非の打ち所がない。ちょっと出来過ぎなくらいだ。

一方で「シー・セッド」が全くノミネートすらなかった、この物語をハリウッドが黙殺したことは、あってはならないことだったと思う。

 

臭い物に蓋をするような側面を見せられたのは残念だったけれど、何はともあれエブエブは、コロナ禍のアジアンヘイトに痛めつけられたアジア系の人々を勇気づけ、「クレイジー・リッチ!」からまたさらに一段、今後アジア系への認識をアップデートするきっかけの作品になっていくだろうことは間違いがなく。

 

なによりも、アジア系にスポットライトが当たったこと以上に素晴らしかったのは、ダニエルズが彼らならではのパンチの効いた、かつ愛ある語り口で、今の世知辛い世界へのアンチテーゼとなる物語を示したこと。

誰もが情報の海に溺れ、何か損をしているような焦燥感を常に抱え、欲深さを刺激されて浮き足立ち、あまりの忙しさにすっかり余裕を失っている。

その帰結が、他者への想像力に欠け、雑で優しさのない、ギスギスした怒りっぽい世界。

人々は互いに傷つけあいながら、同時に孤独や不安や悲しみを抱えてもがいている。

この映画は、そんな世界への解毒剤として、大仰な愛や勝利や世界平和とかではなく、今目の前にいる人への「親切心」と「簡単に切り捨てない、見捨てない姿勢」を示したと思う。

今、語られるにふさわしい物語。とても本質的で実際的なメッセージだと思った。

 

ダニエルズには、これからも変わらず見る人を煙に巻くような、理解に苦しむような訳の分からん作品作りに磨きをかけてほしい。世界の豊かさを担保するために。

 

Everything Everywhere All at Once: What to know before Oscars - Los Angeles  Times

Congratulations!