アンドリュー・ヘイ監督の作品は「さざなみ」「荒野にて」を見ているけれど、どの作品にも共通するのは、さびしさ。
複雑な思いを誰にも話さず内側に溜め込んで、諦観と共に孤絶して生きている。
そしてそういう人々が、繊細な美の中を淡く漂っている。
本作は、ヘイ監督自身のパーソナルな要素を反映し、主人公アダムはゲイの脚本家という設定になっている。
世界からの疎外感や他者との分かり合えなさは、彼が性的マイノリティーであることが大きく関わっている。
そうしたこともあってか、思い入れたっぷりという感じで、これまでの作品よりも親密でエモーショナルな印象を受けた。
原作化において、ストーリーや設定の正確性って二の次なんだなと改めて思う。
大事なのは、原作の世界観を、深い理解をベースとしてその人なりに再構築できているどうかだけ。
死者の世界と生者の世界の境目がきわめてあいまいで淡い。
ホラーっぽいわざとらしい演出はなく、でも今自分がどこにいるかふとわからなくなるような独特の浮遊感があって、そこに自分も身を浸しているだけで優しく癒される感覚があった。
心のままに二つの世界を行き来し、両親と友達みたいに気安く過ごし、心の欠落を埋めようとするアダムのいたいけさ。
一番両親に聞きたかったことをとうとう聞いて、まるで成仏するみたいに彼らは消えていく。ダイナーのシーン、とても美しかった。
もちろん、この映画が描く通りだ。
人生は非情だし、私たちは誰も結局孤独だし、生きるのは辛いことが多い。
でも、誰もに愛し愛される人がいる。
それがすでに失われてしまった人であっても、愛は愛としてその人を支え続ける。
そして恩送りのようにして、愛を受け取った人は誰かとすれ違いざまに愛を渡す。
それは、世界にとってのささやかな救いだ。
私たちは、心の奥の小さな種火のような愛を、大事に大事に手のひらで囲って、小さな炎が消えぬよう、そしてその暖かさを感じながら、こつこつと薪をくべ、今日もいちにち暮らすことを重ねていく。