みずうみ2023

暮らしの中で出会った言葉や考えの記録

勘違いだけが人生だ

魔法使いの友達から、「なおみちゃん今自分で変化する時期に来ているから会って伝えなきゃと思って」って連絡が来た。

長年の付き合いだから驚かないが、なんだなんだと若干面食らいつつも会う約束をし。

二日前に「悪い、たんす持ち上げたらぎっくり腰になった」って連絡が来て。

いいよいいよいつでもいいよと返信し。

昨日「筋膜剥がしの体操やったらなんか良くなったのびっくり!」って報告があり。

おー良かったじゃあ明日ね楽しみよ〜ってことになり、笑。

 

会ってまずはおばあちゃんにお線香をあげ、恭しく手みやげを渡すも、そんなんどうでもいいからって雑な感じで単刀直入的に、わりと厳しめに、今浸かってる沼からさっさと出てこいって言われた。

猫だましみたいに、目の前でぱんっ!って手を叩かれたような気持ちになった。

観念して、今自分がいる状況をトボトボと話したら、そんなこた知ってるって感じで、

「もーこのところ何度も何度もメッセージが来て(全くもう)」と困り顔で。

 

自分がどう生きたいかどうありたいかを自覚して、とにかく何をするにも意図を明確にしろと繰り返し繰り返し伝えてくれた。

自分自身の乗り越えてきたことを話す中で、彼女自身も涙を流し。

そんで、なおみちゃんもやんなきゃだめだ、子どもたちのためにもやんなきゃだめだ、だって死ぬ思いして産んだんでしょう、それはすごいことなんだよ、あなたは良くやってるよって励ましてくれた。

それまで我慢してたけどさすがに涙でた。

自分に優しくしてあげることは、どうしてこんなに難しいんだろう。

 

このところ絶望についてあーだこーだ考えていて、往復書簡にも長々書いたところだった。

昨日は娘氏は絶望についてどう考えるかふと聞いたら「絶望ってねんざみたいなものなんだよね。クセになるんだよ」と言われ、

今日は友達に「古いテープをいつまでもいつまでも再生しているのと同じ、かき換えないとだめなの」と言われ。

全方位的に今ある状況はおおむね思いこみだと断言されたようで、今は全く返す言葉がないという気持ち。

とほほしかない。

そして、どうして私は人に恵まれているんだろう、と思う。

やっかいでかたくなでおごっている、こんな徳の低い人間なのに、諦めないでいてくれる人がいる。

 

それでも、難しい。

難しいし、なんか疲れちゃって何も考えられず、帰りは海へ寄り道した。

砂浜に置かれたベンチに「GALS ONLY」って書かれていて、一瞬ひるむも、なめんじゃねー!と憤慨し、あえて寝っ転がってきた。

なんか今、やけっぱちの底つき感があり、あんまもう我慢するのやめようってなっている。

私は躁鬱の浮き沈みの激しい気性だから、落ちるのが怖くてだから上がりたくないってずっとなってた。

笑われたり、引かれたり、迷惑をかけるのが怖いからすんってしてきた。

 

でもそれもうやめてこうと思う、なんか。

浮かれても落ちても、その時々を素直に味わっていけばいいのかと。

嫌われることと一人になることを恐れなければもっと自分に正直になれるのかもと。

この感覚を忘れたくなくて、やさぐれた気分のままに書き留めておく。

 

できるかな、でも悔いなくのびのびありたいな。

なんにつけ、自分が「それに値する人間だ」と信じることは、私にはとても難しいことだけど。