みずうみ2023

暮らしの中で出会った言葉や考えの記録

複雑さ、シンプルな人間の事実について

三連休、ようやく終わりが見えてきた。

末っ子は遊び疲れて昼寝中。

 

パレスチナのニュースを目にするたび、胸が塞がれる。

今目の前で起こっていることは、狂気じみた無差別殺人でしかない、とにかく止めろ、止めてくれとただ念じるしかない。

そんな中、日本の外務大臣がわざわざイスラエルに出向いて行ってジェノサイドする政府に連帯を示したニュースを知り、愕然としている。

この国の政府の中枢には、しばらく前から、もうまともな頭脳は存在していないみたいだ。

こんな人たちが国の舵取りしてるの、まじでやばい、リスキーすぎるって。

こんな人々にいつまで好き放題にさせておくのか私たち。

 

 

そして、今回のこともそうだけど、私がいつもやるせなく思うのは、どうしてあらゆる問題が二項対立の枠組みに勝手に入れられて、その枠内で語られてしまうのか、ということだ。日本に限ったことではなく。

イスラエルは最悪、ハマスは仕方なかった、そうじゃない。

ウクライナ・ゼレンスキーがヒーローでなかったからといって、プーチンをあたかも善のように語ることも、ワクチン派か反ワクチン派かみたいなことも、全く本質的じゃない。

あたかも一方が間違っていたら、自動的にもう一方により正当性が付与されるような、そんな単純化された幼い考え方がある。

いろんなことに対して、そういう論の立て方がもう手癖みたいになっているし、そのことへの自覚もあまりないように見える。

いつも強い違和感がある。

 

だから、スラヴォイ・ジジェクが、今回のイスラエルパレスティナの攻撃について語った言葉にはとても共感した。

ハマスイスラエルの強硬派はコインの裏表だ。私たちは、境界線をハマスイスラエルの強硬派の間に引くのではなく、二つの極端な勢力と平和な共存の可能性を信じる人たちの間に引かなければならない。私たちは、二つの極端な勢力と交渉してはならず、代わりに反ユダヤ主義と戦い、同時にパレスチナの権利のために闘争しなければならない。

 理想的な話に聞こえるかもしれないが、二つの闘争は同じ闘争だ。私たちは、イスラエルが自らをテロから守る権利を無条件に支持すると同時に、イスラエル占領地に住むパレスチナ人が直面する絶望的な状況に無条件に共感しなければならない。二つの立場に「矛盾」があると考えるのであれば、まさにその考えが、問題解決を事実上妨げることになるだろう。スラヴォイ・ジジェク 韓国・ハンギョレ新聞への寄稿より引用)

 

複雑かそうでないかではなく、「既存のパラダイムに囚われた状態では、パレスチナの問題は決して解決できない」ということなんだと思う。

 

人間の普遍性について教えてくれた、黒人作家タナハシ・コーツの言葉もとても重要と思う。

https://x.com/ShortShort_News/status/1720714000693186988?s=20

パレスチナ紛争について書かれた記事やあらゆる文章に必ず出てくる言葉がある。「複雑さ」だ。

だから私は善悪が見分けにくい状況があるのだろうと予想していた。

しかし(実際に現地に足を踏み入れてみて)最も衝撃だったのは、何が起こっているかを自分がすぐに理解したことだった。

それはあまりに身近なことだった。

私は、移動、選挙権、水や住居を手に入れる権利から民族性に基づいて阻害されていた地域の出身だ。

西側メディアはこの問題をあたかも中東研究の博士号が必要であるかのように難しいこととして報じる。

しかし実際には単純なことだ。

最も大切な権利である選挙権を含めた基本的人権を持たない状況にある国民を拘束しながら、その国を民主主義国家と言ってはばからない、そのような「道徳性」を理解することは別段難しいことではない。

アフリカ人やアフリカ系アメリカ人にとってはよく知られた話だからだ。

 

占領地は隔離されている。移動を禁じたナンバープレートがある。

イスラエル当局は「セキュリティのため」と言うのだろう。

ジム・クロウ法におけるアメリカ当局もきっとそう言うのだろう。

彼らは「お前が憎くて嫌いでたまらない」という(本来の)理由以外に、相手に抑圧的な体制を押し付ける権利を正当化するもっともらしい言い訳を常に持っている。

 

私は非暴力の倫理を理解できないような時代と地域に育った人間だ。

倫理とは、暴力そのものが魂を堕落させるという考え方のことだ。

私にはそれが理解できなかった。

正直に言って、自分にはパレスチナの人々との関係が明らかなのと同時に、イスラエルの人々とも明らかにある種の関わりがある。

抑圧の歴史が生む怒りを理解していたからだ。

私は、様々な抑圧や大量虐殺にさらされた人々が、そのことから目を逸らす時に生じる屈辱感がよく分かる。

私は250年に渡る奴隷の子孫だから。

性暴力とレイプが骨とDNAに刻まれた民族の出身だ。

そして世界が自分に背を向けていると感じた時、「世界の倫理」に背を向けるようになることも理解している。

 

自衛権」と言う言葉を何度も耳にする。

では「人間の尊厳」は?「道徳性」は?「夜眠ることのできる権利」はどうなんだ?

(動画より抜粋)

 

いつだって、本質にはシンプルな人間の事実があるという視点から離れぬようにしたいと思う。