みずうみ2023

暮らしの中で出会った言葉や考えの記録

心の棚おろし

昨日は風が強く吹いて本当に爽やかな日だった。

朝からある人のセッションを受けるために車で30分ほど西へ走り、昼までじっくりと話を聞いていただいた。

会ってすぐに、別になんということもないところでぶわっと涙が吹き出てしまって少し慌てたものの、それでもう格好つけても仕方ないって開き直って訥々と話したいようにただ話した。

打てば響くように、言葉の裏側にあるものまでもキャッチして理解してくれる人なので、そんなとりとめのない話し方でも大丈夫なのだった。

 

3時間余り誰かと差し向かいでひたすら話すって、かなり濃密なコミュニケーションだが、それでも3時間という限られた時間の中で、彼女はあまりにもたくさんのものを惜しみなく手渡してくれるので、帰り道は、すごく満たされた穏やかな心もちであると同時に、受け止められるキャパいっぱいに宿題を抱えているような、さてどこから手をつければいいんだろうというような気持ちであった。

温泉にのぼせるまで浸かった後みたいに、ほげーと緩んだ頭と顔でふらつき歩いているような塩梅がしばらく続いた。

ちょうど大磯で、年に一度の器市をやっていたので立ち寄り、ぽてぽて歩きながら7、8箇所、器や絵の展示などを見て回り、Lee's breadでカンパーニュ(私の中で20年間不動のベスト1カンパーニュ!)を土産に買って帰った。

まっすぐ帰ったら事故りそうなくらいぽわーとしていたのでちょうど良かった。

 

日頃から絶え間なくいろんなことをぐるぐると考えているたちで、そんなにも長時間、あー何も考えたくないなあ、こうしてひとり静かに無心に黙っていたいなあと思うことって私には本当に珍しいことである。

それをして、彼女が私にしてくれたこと、どうにも言葉で適切に形容できないそのことは、どうやらすごいことなんだろうと実感するし、温かい感謝の思いが泉みたいにじわーっと静かに湧き出てくる感覚をただただ味わっていた。

今もまだ心の中に温かさが続いているみたいだ。

この心持ちは、ある種の諦観を含む、とても平らかなものだ。

全能感や多幸感といった興奮性の幸せ感からは程遠く、少量の悲しみさえ混じっている。

いつもこういう気持ちでいられたらいいのにと思うくらい心が穏やかだ。

 

それでも、こうして一夜明けるとまた心もとない気持ちがむくむくと湧き上がって来て、自信がぐらつく。

自分を信じることは、私にはとても難しいことだ。

でも、これからの自分の人生の集大成となる時期を悔いなくあるためには、どうしたって取り組まなくてはならないことだと自覚している。

週末は3歳児にかかりきりなので、来週ぐっと気を入れていま一度自分の中に落とし込み、計画を立て、アイデアを練ろうと思っている。